川又千秋 ショートショート・バラエティ㈰ 一発! 目 次  最後の大航海  愛の契約書  鍋焼特使  時間銀行《タイム・バンク》  減量方程式  ホット・マネー  冥土 IN JAPAN  一発!  防災小隊  卵・玉子・たまご  サンタが家にやってくる  CATV猫ちゃん放送局  超時限爆弾《スーパー・タイム・ボム》  なんとなく、エイリアン  テレビ小僧  楽園の思想  猫と王子  最後の大航海  大英帝国最後の、そして最大の冒険者アルチー・ガーランドは、第十六期目の冷凍睡眠《コールド・スリープ》から覚めると、まだ十分に麻痺《まひ》の解けない肉体を引きずって、恒星間宇宙船≪イカロス≫号のブリッジへと急いだ。  思えば、長い、余りにも長い航海だった。  リヴァプールの自宅から母親のキスに送られてマン島のスペース・シャトル基地へ——そして英国民、いや全人類の夢と期待を背に太陽系を旅立って以来、すでに地球時間で五十年近い年月が流れていた。  しかし、彼がその一生を捧《ささ》げ、そして孤独との果てることのない闘いの末に掴《つか》もうとしたゴールは、今や目前に迫りつつあるはずだった。  アルは震えのとまらない右手で、もどかしげに制御卓《コンソール》のメイン・スイッチを探った。そしてそれを押した。  ブリッジを埋めた各種装置のディスプレイが一斉によみがえった。 「おお……」  アルは感動に声をつまらせ、微《かす》かに呻《うめ》いた。  今、ブリッジ正面の大スクリーンは、アルにとって見馴《みな》れた太陽、エリダヌス座イプシロンの姿をこれまでにないほど間近かに捉《とら》えていた。  そして、そのさらに手前—— 「神よ!」  アルは思わず叫んだ。  そこに——  イプシロンの光を浴びて三日月形に青白くかすむ未知の惑星が、ただひっそりと浮かんでいたのである。  ほぼ地球タイプのその惑星に大気があり、しかも呼吸可能の組成であるらしいとの分析が装置から吐き出されてきた時、アルは、歓喜の余り声を上げて泣き伏した。  この一瞬のために彼の半生はあったのだ。  …………  人類最初の有人恒星間宇宙船≪イカロス≫号——それは、二十世紀後半、イギリス人科学者アラン・ボンドによって提唱された恒星間飛行計画、即《すなわ》ちダイダロス計画の見事な結晶と言えた。  出発時質量八万三千トン、最終質量五百トンのこの宇宙船は、核融合パルス推進システムによって、まず数年間、平均〇・〇五Gの加速を行ない、光速の二十三パーセント、毎秒約七万キロメートルの巡航速度に達した。  そしてエリダヌス座イプシロン星までの一〇・八光年を約四十七年かけて乗り切ってきたのである。  もともとダイダロスと名付けられた計画の原案は、無人宇宙船によるバーナード星宙域の探査だった。  だがその後、バーナード星よりもイプシロン星に、地球タイプの惑星が存在しやすいことを示す有力な観測結果が得られたことから、この計画の全体的な練り直しが行なわれた。  それにつれて台頭してきたのが、有人飛行論である。  これほど壮大な人類の夢を、すべて機械まかせにするよりは、たとえ一人でもいい、我々人間の代表をこの宇宙船に乗り込ませられないものか、というのだ。  当然のことながら、この旅は片道の自殺行だった。イプシロン星まで地球時間(t)で約四十七年、相対性理論によって船内時間( )がやや短縮されるとは言えの簡単な計算で分かるように、その差は二年にも満たない。  冷凍睡眠《コールド・スリープ》による老化の防止も、一期の時間が一年以上は危険だと見做されていたから、たとえ宇宙船が帰還のための燃料を積んでいたとしても、生還はおぼつかなかった。  しかも、この計画はあくまでもフライバイ、つまり近傍通過が前提であり、帰還飛行は、技術的にも将来の課題とされていたのだ。  にもかかわらず、≪イカロス≫の乗船希望者は、全世界で数十万人にも達した。  計画の提唱国イギリスは、すでにこうした巨大プロジェクトを推進する国力を失っていた。だからこそ、その面子《メンツ》とジョン・ブル魂の栄光を守るため、この過酷な搭乗員《パイロツト》選抜レースには絶対に勝ち残らなくてはならなかった。  そして、そんな祖国の切望に見事|応《こた》えたのが、元RAFの戦闘機パイロット、アルチー・ガーランドだったのである。  出発時、彼は二十五歳……飛行中十六期、のべ十六年にわたる冷凍睡眠《コールド・スリープ》で老化を食いとめてきたとは言え、すでに七十二歳、肉体年齢も五十歳を大きく越えていた。  しかし、彼は報われたのだ。  …………  宇宙服《スペース・スーツ》に身を固めたアルは、ぎこちない動作で、≪イカロス≫号後部に収納されている着陸艇《パラシュート》のコクピットにもぐり込んだ。  パラシュート、のニックネームはアル自身がつけたものだった。なぜなら、その艇は、一度≪イカロス≫を離れて未知の惑星を目指せば、二度と母艦へはもどれない単なる降下艇だったからである。  しかし、アルの心は躍っていた。  彼が目指すのは地獄のような世界ではない。奇妙な形ではあるが大陸や海があり、その上空に綿のような雲の流れる、驚くほど地球によく似た惑星が、彼を待っているのだ。  コンピューターが、発進のタイミングの近いことを知らせてきた。  彼はTVカメラにむかって、約十一年後、地球に到達する最後のメッセージを録画した。  そして、艇は≪イカロス≫を離れた。  巨大な降下艇の艇内容積の大部分は、減速用エンジンと燃料が占めている。  次第に姿が大きくなる惑星を目の隅でにらみながら、アルは減速の激しいGに耐えた。  やがて、艇のエンジンが停止した。  燃料がつきたのである。  降下艇はすでに、未知の惑星の大気圏内にあった。  アルは手動操作で、艇のエンジンと燃料タンクを切り離した。  そして滑空用の翼を大きく展開し、大気の底へと、さらに突入していった。  …………  その星は、まさに楽園と見えた。  そればかりではない、美しい自然に囲まれて、明らかに文明の存在を示す、都市や町の姿があった。  アルは狂喜した。彼は一〇・八光年を越える大冒険飛行に成功したばかりではなく、異世界の知性と、今遭遇しようとしているのだ。  まさに、それは奇蹟《きせき》だった。  その時、アルは、降下艇の右下からゆっくりと接近して来る飛行物体に気がついた。  地球のアルファベットに似た記号や、何かのマークも見える。しかし見馴れぬそのスタイルは、まるで未来映画から抜け出してきたもののように斬新《ざんしん》だった。  その機体が、幾度も小刻みに翼を振りはじめた。 (ついてこい!)と合図を送っているらしい。  アルも翼を振って(了解!)の意志を伝えると、すぐその後につづいた。 (なんと紳士的な異星人《エイリアン》だろう)  アルは再び感動に身をまかせながら考えた。  昔のSF作家たちは、いつも不幸な結果に終わる|最初の接触《フアースト・コンタクト》しか考えてこなかった。  だが、この惑星の知性体は、ごく自然に、まるで当然のようにアルを暖かく迎えようとしているようだった。  その機の誘導で空港らしい施設に接近した時、彼の確信はさらに強まった。  地上には彼を歓迎するためらしい飾りつけが見え、二本足の、人間に似た群衆が、しきりに小旗を打ち振っている。  年老い、半生をただ孤独のなかで過ごしてきたアルチー・ガーランドの目に、再び光るものが溢れはじめた。 (よかった! 来てよかった……)  彼は降下艇の機首を傾け、一気に、着陸態勢に入った。  衝撃——!  艇はついに、その未知の大地に触れた。  そして滑走しながら、二度、三度と軽くバウンドし、すぐに停止した。  そして、キャノピーを開いた。  宇宙服の安全装置は、外気が呼吸可能であることを示すランプを明滅させていた。  アルは怖《おそ》る怖るヘルメットを脱いだ。空気は甘く、かぐわしかった。  久しぶりの強い重力によろめきながら、アルは精いっぱいの微笑を浮かべて艇から降り立った。  群衆が熱狂して叫んでいるのが聞こえた。そして代表団らしい数人が、花束をかかえて走り寄って来る姿が見えた。  彼等は驚くほど地球人に似ていた。  いや、ほとんどそっくりと言ってもよかった。  ただし——その肌は、この健康な惑星の住民にふさわしい小麦色を呈していた。  皆小柄で、手足は短い。  先頭の一人は、頭髪がほとんどなかった。そして、歯と思われる部分が、極端に前にせりだしていた。  そうした細かな相違点にもかかわらず、彼等はまさしく地球人型種族《ヒユーマノイド》に違いなかった。  アルチー・ガーランドの歓喜は頂点に達した。  今、彼は、全く未知の宇宙種族と、平和|裡《り》の交流を成し遂げようとしているのだ。  先頭の一人が黄ばんだ歯ぐきを剥《む》きだしにして、ちょこまかと駆けてくる。  しかし、ガーランドは、その姿を決しておぞましいものとは考えなかった。  宇宙は広い。さまざまな種族がいて当然だ。  彼は宇宙的寛容によって、大きく手を広げ、彼等代表団に笑いかけた。  彼等もまた笑っている。  笑いと笑いが、ついにひとつになった。  頭頂をてかてかと光らせた異星の男が、アルチー・ガーランドに対して何事か、声を張りあげた。 「やりましたね、アル! あなたこそは正に本物の、そして最後の英雄だ」  英語を知らないその男は、日本語でアルに祝辞を述べた。 「超光速のワープ航法が開発されたのは、あなたがご出発になってから八年後でした。ですから、わたしたちはこうして先回りして、あなたをお迎えすることになってしまったのです……長かったでしょう、つらかったでしょう」  通訳が大急ぎで駆けつけるまで、アルチー・ガーランドは顔中をくしゃくしゃにして、日本基地の筆頭議員、江上春夫との感動的な最初の接触《フアースト・コンタクト》に酔いしれていた。  愛の契約書 「これじゃあ、故郷《くに》へも帰れないよなァ……」  ぽつり、とつぶやいたのは伸介だった。 「……そうよねえ……同《おな》い年で、現役の友だちは、この春でみんな三年生になるんですものね……なのに、あたしたちだけ、また……」  啓子はこたつの上の茶碗《ちやわん》に手をのばすと、もう四杯目の冷酒をぐいと干した。  しかし、いくら飲んでも、冷えきった胸の内は少しも暖まってくれない。  それは伸介も同じらしく、また二級酒のビンに手がのびる。  ここは六畳一間の伸介の下宿。二人は同じ岡山出身の浪人生だった。  いや、ここで過去形を使うのは正しくない。  今日行なわれた志望大学の入試結果次第では、二人はまた今年も、同じ境遇にとどまらなくてはならないからだ。  ……そして、どうやら、その結果というのも、二人にとっては、かなり明らかなものだったのである。 「……国語はまァまァだと思うの……でも、英語は明らかに大失敗……それをバンカイするはずの世界史がねェ……」  ふてくされた口調で、啓子が言う。 「……だよなあ」  伸介の声も暗い。 「あの大学は今まで十年間、現代史は絶対に出なかったんだもの。なのに、今年は、ベトナム戦争まで出題するんだから……まったく、サギみたいなもんだよなァ……」  二浪が決まり、すっかり落胆していた二人が、偶然ばったり予備校の申し込み会場で出会ったのは去年の春だった。  同じ高校出身の二人は、そこで意気投合。互いに協力しあい、はげましあって合格を目指そう、と誓いあったものだ。  学力はだいたい同程度。しかも互いに下宿を行き来し、いっしょに勉強を続けてきたから、得意不得意も自然に似通ってしまっていた。  だから……入試が終った今、二人は同じ絶望感に打ちひしがれて、ヤケ酒をあおらねばならないハメにおちいっていたのだ。 「……ねえ、伸ちゃん」  啓子が、急に思いつめたような声で言った。 「……もう、あたしたち、ダメよ……いっしょに……いっしょに、死なない?」 「な、なんだって?」  一応、驚いたように顔を上げた伸介だが、今の彼の気分は、まったく啓子といっしょだった。 (もう、イヤだ。結果は、はっきりしている……希望もなにもないんだ……よし! いっしょに、いさぎよく……)  伸介が、そう啓子に告げようとした、その途端——  ボワーン!  そんな感じで、下宿の部屋の片隅に、おかしな服装の小男が、急に煙とともに出現したのである。 「ワッ! な、なんだ、おまえは!?」 「キャーッ、助けて! 伸ちゃん」  なおも叫び立てようとする二人を、その小男が困ったような顔で制止した。 「お願いです、静かにしてください。わたしは怪しい者じゃありません。ただの悪魔ですよ、ホラ、この通り、尻尾《しつぽ》もちゃんと……」  男は上着のスソから、先の尖《とが》った黒い尻尾をひっぱり出して、二人に見せた。 「あ、怪しい者じゃないって、悪魔だって、じゅうぶん怪しいじゃないか。いったい、なんの用だ!」  酔いのおかげで、なんとか恐怖に打ち勝った伸介が、啓子を抱いてかばいながら、男をにらみ返した。 「そう興奮しないでくださいよ、お願いだから。お二人が、あんまり思いつめていらっしゃるようだから、こうしてやってきたんじゃありませんか」  悪魔だと名乗った小男は、ぶつぶつ言いながら、一枚の紙切れとペンのようなものを、手品のように空中から掴みだすと、二人を見比べながら、続けた。 「よく聞いてください。わたしは、人間の望みをひとつだけ、かなえてあげられる悪魔なんです。しかし、なんでもできるわけじゃない。わたしにできるのは、その人が望む過去のある時間へ、一回だけ帰してあげることなんです。つまり、人生のやり直しをプレゼントするのが、あたしの仕事なんです」  悪魔は気味悪く、ニヤッと笑った。 「もちろん、タダ、というわけにはいきませんが……」 「知ってるわ! 魂と引きかえに契約しようっていうのね。そんな話を、読んだことがある」  啓子が目を見開いた。 「まあ、そんな所です。詳しくは、この契約書に書いてあるんですが……」  悪魔は手の中の黄ばんだ紙片を、ひらひらと振った。 「ところで、残念ながら、わたしの能力では、どちらかお一人にしか、このチャンスを差し上げられない。さあ、どうします? 好きな時間へ帰って、やり直しですよ」 「わ、わたしが行くわ!」  そう叫んだのは啓子だった。 「お願い、悪魔のおじさん。あたしを、今日の朝に帰して! 試験が始まる前の時間まで!」 「啓ちゃん、そんな……」  啓子の決心の早さに、伸介は唖然《あぜん》とした。 「じゃあ、いったいぼくはどうなるんだ?」 「大丈夫よ、伸ちゃん。あたしは、今日入試が終ってから、テストの模範回答を手に入れて、一応ざっと目を通したの。だから、あたしが試験場へ行って、テストの前に伸ちゃんに回答を教えればいいのよ。そうすれば、二人そろって、合格できるはずじゃない!」 「そ、それはそうかもしれないけど……」  まだ事情がよく飲みこめない伸介を尻目《しりめ》に啓子は悪魔の手から契約書をひったくった。さらさらと、サインした。 「……急がなくっちゃ! 急がないと、回答を忘れちゃう……」 「お嬢さん、その前に契約事項をお読みになって……」  啓子にすっかり気圧《けお》された悪魔がつぶやくように言った。 「いいわよ、魂くらい! こっちは、それどころじゃないわ!」  …………  次の瞬間、啓子は試験開始二十分前の教室にいた。四列先には、伸介が座っている。  今朝と全く同じ光景だ。一時間目は、モンダイの世界史が行なわれる。  慌てて、啓子は伸介に駆け寄った。 「伸ちゃん、現代よ、ベトナム戦争! 絶対、これが出るわ!」  啓子はささやくと、伸介に参考書を開かせ、ポイントに印をつけた。 「このあたり、今から覚えるのよ! いいわね、あたしを信じて!」  半信半疑ながらも、伸介は啓子の言葉にしたがった。  そして、効果テキメン、世界史をなんとか乗り切った。 「すごい、すごいよ、啓ちゃん! 社会はばっちりだ。ねえ、どうして分かったの? 次の英語も、そのヤマカンで助けてくれよ」  一時間目の好調な滑り出しで、伸介はもう有頂天だ。もちろん、啓子の方は満点に近い成績だ。 「ええ……次のテストはね……」  言いかけて啓子は急に口をつぐんだ。  その時になって、ふと、伸介の顔がうとましく思われだしたのだ。 (なによ、この男……)啓子は思った。(本当なら二浪してもこの大学に入れないようなボンクラなんだわ。そんな男に、あたしが答を教える必要があるのかしら……恋人気取りで、すりよってきたりして……おお、嫌《いや》だ。この幸運は、あたしだけのためのものよ。だって、悪魔と契約したのは、あたしの方なんですもの。この男には、権利なんてないんだわ。そうよ! バラ色の未来は、あたしだけのものよ! この大学へは、優等生で合格するわけなんだから、伸介より頭も顔もいい男もよりどりみどり!)  一瞬で、啓子の考えは決まった。 「伸ちゃん、ダメだわ。世界史は、なぜかピンときたんだけど、英語はさっぱり……」 「ふうーん……」  急によそよそしい態度になった啓子に気付かず、伸介はまだ笑顔のままだ。 「でも、さっきはほんとに助かった。ようし! 英語も、ガンバルぞーっ!」 (ふん、次の英語であんたが大失敗するのをあたしはもう知ってるんだから……)  勇んで席につく伸介を、啓子はただ冷たい目つきで見送った。  英語……国語……とテストは予定通りに進んだ。  そして、終わった。 「どうだった、啓ちゃん?」  終了後、伸介はすぐ啓子の席へ飛んでいったが、彼女はなぜか曖昧《あいまい》に笑うだけだ。 「まあまあ、かしら。悪いけど伸ちゃん、あたし、用事を思い出したの。今日は、別々に帰りましょ」  それだけ言うと、啓子はスカートをひるがえして、教室から消えていった。 (なんだか、いつもの啓ちゃんと違うみたいだ……)  思いながら、伸介は一人で家路についた。 (世界史と国語はまあまあ……でも英語が予想より難しかったから、ヤバイとこだよなァ……)  ひとり下宿に帰ると、気が抜けて、伸介はぼんやり酒を飲みはじめた。そうでもしなくては、不安でしかたなかったのだ。  そして、いつしか眠りこんだ。  何時間たったろう……彼は、誰《だれ》かに強く揺り起こされて目を開いた。すると、そこに見たこともない小男が立っている。 「だ、誰だ、あんたは!」  ぎょうてんして、伸介は跳《は》ね起きた。 「誰だ、はないでしょう。それより、あのお嬢さんは? どこへ行ったんです……」  男は奇妙な紙きれをひらひらさせながら、きょろきょろあたりを見回している。 「お嬢さん? 誰のことだい。啓子さんなら今日は別々に帰ってきたから、ここにはいない。それより、あんた、ヒトの下宿に上がりこんで、なんのつもりだ!」  伸介は不機嫌《ふきげん》に怒鳴り返した。 「なんですって!? じゃあ、あなた、あの啓子さんから、わたしのことは聞いてないんですか?」  伸介の言葉で、逆に男が驚いた。 「聞いてないも、なにも……どういうことだ! 説明してくれよ」 「それは、それは……」  小男は頭をかき、おもむろに上着の下から、黒い尻尾をとり出すと話しはじめた。 「……というわけで、わたしは、その啓子さんにこの契約書の写しを渡そうと、待っていたんですが……なるほど、じゃあ、彼女は、あなたに話さなかったんですねえ……」  事情を聞いて、伸介は猛然と腹を立てはじめた。しかし、考えてみれば、腹を立てる自分もふがいなかった。 (いいさ……啓ちゃんだけでも、大学へ入ってくれ……)  伸介は、力なく首を振った。 「……しかし、あのお嬢さん、契約書を読まずに、あれでよかったのかなあ……」  そんな伸介のかたわらで、悪魔と名乗る小男は、まだぶつぶつ喋《しやべ》り続けている。 「わたしの契約は、他の悪魔とちょっと違っているんですよ。たいていは、死後の魂が条件になっているでしょう? でも、わたしの場合は、生きているうちにいただくわけでして……」 「えっ!?」  慌てたのは伸介だ。 「じゃ、じゃあ、啓ちゃんの生命は、もうこれきり……」 「いえいえ、いくら悪魔でも、そんなあくどい取り引きはしませんよ。わたしがいただくのは、魂の中のほんのささやかな部分でして……つまり契約者の方が、これからの人生で受け取るはずの他人からの愛情、その三分の二だけがわたしの取り分ということで……」 「さ、三分の二も!?」  わけも分からず、伸介は目をむいた。 「しかし、あのお嬢さんの、あなたに対する仕打ちからすると、どうも三分の二といっても大した量にはなりそうにありませんな。いや、どうもこりゃ、損な取り引きをしてしまったようだ……」  悪魔は契約書をにらんで、渋い顔をさらにしかめたのだった。  鍋焼特使 (あーあ、やんなっちゃう。ことしの風邪《かぜ》は、ホントにしつこいんだから……)  鼻をすすりながら、悠子はしぶしぶ布団《ふとん》から這《は》い出した。  学校を休んで半日寝ていたおかげで、熱は大分引いたようだが、まだ身体中がだるい。  起き上がりたい気分ではないが、なにしろ昨日からロクなものを口にしていないので、おなかの方がさっきから苦情を申し立てていた。  時計を見ると、午後の二時——  妹は学校だし、母親は買い物に出たから、家には彼女ひとりだ。  しかたなしに、悠子はパジャマの上にガウンをはおり、ちょっとヨロヨロしながら台所へやってきた。すると、ダイニング・テーブルの上の母親の書き置きが目にとまった。  ——悠ちゃんへ……冷蔵庫の中に、鍋焼《なべやき》うどんが入っています。電子レンジで暖めれば、すぐ食べられるようになってますからね。玉子でも入れて、少しでも体力をつけないと、風邪はよくなりませんよ…… (鍋焼うどん、か……母さんも、なかなか気がきくじゃないの)  猛烈に食欲をかきたてられた悠子は、さっそく冷蔵庫を開き、小さな土鍋に用意されているうどんを取り出した。  生玉子を一個、そこに割り入れ、そのまま電子レンジのターン・テーブルにのせる。 (えーと……解凍じゃないし、調理の方かな?……六〇〇ワット……一一五〇ワット……どっちかなァ?……それにタイマーもあるのか……なんだか、よく分かんないなァ……)  普段、料理の手伝いなどしたことのない悠子は、電子レンジの調節ダイヤルを前にしばらく首をひねっていたが、(えいっ! 適当でいいや)とばかり、スイッチを入れた。  その、きっかり五秒後——  突然、レンジの庫内で、異様な物音が聞こえた。と同時に、水蒸気と煙が勢いよく吹き出してきた。 (しまった! やっぱり調節をまちがえたみたい)  悠子は大慌てで、レンジの扉を開いた。  そして、ワッ! と叫んで飛びのいた。  それもそのはず、鍋焼うどんが入っているはずのレンジの中から、いきなり、奇妙なものが転がり出てきたのである。 「まったく、何という旧式のテレポート装置をお使いじゃ。危うく、蒸し焼きになるところでしたぞ」  それは、転がり出るやいなや、短い手(のようなもの)でピンク色のからだをパタパタ叩《たた》きながら、そう言った。  いや、少なくとも、悠子にはそう聞こえた。 「な、な、な、な、な、なんですって!? あ、あ、あ、あ、あなたは……」  悠子は目をまん丸に見開いたまま、逃げるのも忘れてつぶやいた。 (やっぱり、ピリン系とかいう風邪薬がよくなかったんだわ。非ピリン系なら、こんなことが起こるはずはない)  余りのことに、悠子はメチャクチャな理由をつけはじめた。 (……それより、あんまりおなかが空《す》きすぎて、それで幻覚を見ているのかしら)  悠子は何度もまばたきし、頭を左右に振った。  しかし、目の前のそれは、いっこうに消えようとしない。  よく見ると、それは小ブタのぬいぐるみによく似た生き物である。背中に奇妙なリュックサックのような荷物を背負っている。 「さあ、お出迎えの方、時間が余りない。すぐ、会議場へ案内してくれんか」  立ちすくむ悠子にむかって、小ブタは少々|苛立《いらだ》たしそうに命令を下した。 「か、会議場ですって? 何を言ってるの? あたしのウチに、そんなものはありませんことよ!」  この幻覚が早く消えてくれることを祈りながら、悠子はわけも分からずそう答えた。 「これはまた、異《い》なことを!」  小ブタは、ぎょろりと、そのつぶらな瞳《ひとみ》で悠子をにらみつけた。 「和平のための話し合いがしたい、と言い出したのは、あなたがた、ゴルガリア星の方なのですぞ。それを、何ですか? ワラポリオ星の全権特使たるこのわたしに対して、そういう態度をおとりになるのか!」  小ブタが全身をさらにピンクに染めて怒鳴りはじめた。 「ま、待ってちょうだい……そう、やっぱり、これは、あたしの幻覚だわ。だって、この小ブタ、ちゃんと日本語をしゃべってるんですもの。これは夢よ、あたし夢を見てるんだわ……」  悠子は目も空《うつ》ろに、そうつぶやいた。 「何をまたブツブツと、おかしなことを言っておるのじゃ。このわたしを怒らせるおつもりか! わたしは、こうして万能翻訳器を持参しておる。これは相手の精神波を分析して、瞬時にその言語体系を把握《はあく》する装置じゃ。こんなものをかついできたのも、今日こそ、あなた方ゴルガリア星人とハラを割って話し合おうという誠意のあらわれではないか! それを、今になって、なんやかやと……」 「ちょっ、ちょっと黙ってよ!」  悠子はヒステリックに叫び返した。 「あなたの誠意がどうこう言ってるんじゃないわ。こ、ここは、あたしの家の台所で、ゴル……ナントカ星じゃないのよ! あなた、きっと、道に迷ったんだわ。ここの住所は、世田谷区、下馬……」 「な、な、な、なんですと!?」  小ブタは大げさに全身を震わせ、後ろにひっくり返った。 「ここは、ゴルガリアではないと申されるか!? で、では、あのテレポート装置は、どうして161623デンクルにセットされておるのじゃ!?」  小ブタは、まだ煙の出ている電子レンジを振り返って叫んだ。 「そんなこと知らないわよ! だいたい、あれは、テレポート装置なんかじゃなくて、ただの電子レンジよ! それにあたしがセットしたのは六〇〇ワット、タイマーは五分……」 「な、な、な、なんですと、なんですと!? 大変だ、大変だ、大変だ……」  小ブタは、ぴょこぴょこと台所中を跳ね回りはじめた。 「姿を見せぬ侵略者ゴルガリアと、今、我が星は戦闘中なのじゃ。相手も、我々の姿を知らぬ。なにしろロボットどうしが戦っておるのじゃから。だからテレポート装置をセットしあって、はじめての接触と会談を持とうと決まったのではないか! ああ、それなのに、どうもおかしいと思ったら、別の星のテレポート装置と同調してしまったとは……ああ、いったい、どうすればいいのじゃ!?」 「ちがうったら、これは電子レンジなのよォ!」  抗議する悠子を尻目に、小ブタはひとり(一匹?)台所を転げ回っている。  その頃《ころ》、ゴルガリアの会議場には、アツアツに暖まった鍋焼ウドンが運び込まれていた。  凶暴なゴキブリのような姿のゴルガリア星人のひとりが、今しも、この全権特使に最初の質問を発しようとしているところである—— 「さて、ワラポリオの特使殿。我が星系は、これ以上無益な戦いは避けようと考えておる。それも、これも、特使、あなたの答ひとつだ。あなた方の第二惑星を我々に割譲なさるか、それとも、さらに戦うか……さあ、お答を聞きましょう!」  ゴルガリアの武官は、いかめしいヒゲを震わせて、鍋焼に詰め寄った。 「グツ……グツ、グツ……」  鍋焼うどんの土鍋が、おいしそうな音をたてた。 「な、なんと! そのような侮辱は許しませんぞ!」  怒りにかられた武官は、てらてらと気味悪く光る背中の羽根をふくらませた。 「グツ……グツ、グツ、グツ……」  土鍋が再び鳴った。そして、半分煮えた玉子が、ぷくぷくとうごめいた。 「と、特使! あなたは、自分の言っていることが、どんな結果を招くか、分かっているのか! 我々、ゴルガリアを、甘く見るのもいいかげんにしろ!」 「グツ、グツ……」  鍋焼うどんは、ゴルガリア星人の威嚇《いかく》も知らぬ気に、陽気な調子でそう答える。 「ゆ、許せん! こやつを生かして帰すな!」  その言葉を合図に、会議場を埋めたゴルガリアの衛兵は、われがちに鍋焼うどんに襲いかかり、それをむさぼり食った。  彼等は、先刻から、ワラポリオ星人の発する誘惑的なにおいに、すっかり食欲を刺激されていたのだ。  そしてその美味が、ゴルガリア星人によるワラポリオ直接侵略の引金となったのは言うまでもない。  一方、悠子の家の台所では—— 「なんとしてでも、ゴルガリアへ行き着かねば」  そう繰り返す小ブタに手をやいて、彼女はしかたなしに、電子レンジの扉を開けた。 「とにかく、この�装置�でここまで来たんだから、同じように帰るしかないわけよね。いい? じゃあ、スイッチを入れるわよ。もう、まちがって、地球へ来たりしちゃイヤよ」  今度は電子レンジの出力もアップして、タイマーも長めにセットした。  小ブタは、そわそわ落ち着かなげに、ターン・テーブルの上で身がまえている。 「それじゃ、さよなら。お元気でね」  電子レンジの中の小ブタに手を振ると、悠子は、また熱が出てきた額を押さえながら、調理ボタンを押した。  急に悪寒《おかん》がぶり返したようで、気分が悪い。  悠子は後も確かめずに寝室へとって返すと、毛布を頭までかぶって目をつぶった。  しかし……今度こそ、電子レンジは、先ほどの汚名を返上《へんじよう》した。つまり、本来の機能を回復したのである。  空腹の悠子が、思わず跳《と》び起きるほどいいにおいが、プーンとただよってきたのは、それから二十分後のことだった。  時間銀行《タイム・バンク》  時計を見ると、もう三時半を回っていた。 (うわア、これじゃあ、とうてい間に合いそうもないなあ……)  俺《おれ》は溜息《ためいき》をつきながら、壁に貼《は》ってあるスケジュール表をにらみつけた。  確かめるまでもなく、今進めている仕事の|〆切《しめき》りは四時ちょうど。つまり、あと三十分足らずで、担当者が原稿を受け取りにやってくる。  しかし、どう考えても、それだけの時間で仕上げるのは無理というものだろう。なぜなら、原稿はようやく百二十枚に達したばかりだ。まだここから、たっぷり九十枚分、省文《アブリツジ》しなくてはならない。俺の仕事のペースから判断すると、あと二時間は絶対に必要だ。 (しかたがない。できないものは、できないんだから……)  俺はあきらめて電話機に手をのばした。 (そう、こんな時のために、時間銀行があるんだ……�仕事も大きく、楽しみも大きく�か……まったく、その通りだ……)  俺はダイヤルをセットしながら、その取引先銀行の宣伝文句を思い出していた。  数回のコールで、交換とつながった。 「お待たせいたしました。こちらは、皆さまの時間節約にお手伝いする、東京タイム・バンクでございます」 「ああ……時間を引き出したいのですが、係の方に回してもらえますか?」 「少々お待ちください。今、係の者とかわります」  回線が切り換えられ、今度は男の声に変わった。 「はい、ご用件をうかがいます。口座番号を、どうぞ」 「えーと、こちら、東京杉並区の真田《さなだ》、番号は861445……で、まず、残高を確かめたいんですが……」 「お客さまの預時間残高は、ただ今、二百八十時間と十三分になっております」  それを聞いて、俺は少し安心した。  先月、先々月と、意識的に時間を節約したおかげで、残高も大分増えたようだ。これだけあれば、ちょっとくらいぜいたくな使い方をしても、すぐに底をつくようなことはないはずだ。 「じゃあ、そこから、三時間引き出すことにします。そう、今すぐに使うんです。四時になるまでの間、そこへ三時間、振り込んでください」  俺は余裕をみて、一時間多めに依頼した。 「承知いたしました。さっそく手続きさせていただきます」  相手の銀行員はさらに、手数料として二分十二秒が残高から天引きになることを事務的に告げ、俺はそれを了承した。  そして、気がつくと、時計はすでに十二時四十分までもどっている。  俺はゆったりした気分になって、再び仕事机の上のワード・プロセッサーに指を走らせはじめた。  お気づきのように、俺の商売は、省説家だ。  外国での呼び名にしたがえば、アブリッジャー(abridger)ということになる。  多くの横文字商売がそうであるように、この職種も歴史が浅い。  世の中が極度にスピード・アップされ、それにつれて無駄な時間をいかに節約し、再利用するかが先進国共通の問題となりはじめた今世紀の初頭、時間銀行《タイム・タイムバンク》の設立と同時に、数多くの時間関連業《タイム・ビジネス》が派生的に誕生したが、省説家《アブリツジヤー》もその一種と考えてもらっていい。  ただし、他のタイム・ビジネスがみな超現代的な性格を持っているのに対し、省説家の仕事は、例外的に家内工業風のものだ。  コンピュータの利用さえいまだに限られた範囲でしか行なわれず、最後の仕上げには、やはり人間の頭脳がモノを言うとされている。  その点については、編集者の間で議論の分かれるところだが、ともかく現在、ことに文芸の分野で、省説家を介さない仕事というものはあり得ないほどになってきている。これは事実だ。  まだよく理解していない方々のために、我々の仕事を簡単に説明すれば、省説家とは、要するに長ったらしい小説や戯曲などの文芸作品を、手際よく、簡潔にまとめる技術者のことである。  時間《タイム》銀行《・バンク》ができたおかげで、人々は無駄な時間を節約してそれを貯蓄に回すことができるようになった。  人々は争ってこの制度を利用しはじめたが、それは考えてみれば当然のことだ。  することもなく、ぼんやり過ごさなくてはならない時間を銀行に預け、仕事や遊びなどで「もっと時間が欲しい」時に、それを引き出せるのだ。  しかも、預けてある時間には利子もつく。だから、人生にとって不用と思える時間をどんどん貯蓄に回せば、それはいつしかさらに延長された形で、人生最良の時に振り分けることが可能なのだ。  人類にとって、これ以上素晴らしい制度がこれまで存在したであろうか!?  ところが、にもかかわらず、問題はあった。  まず第一に、人類の文化の大きな部分が、実は無用なヒマをつぶすために築かれてきたらしい、ということが明らかになってきたのである。  人々が自分たちの人生から、そうしたヒマをシビアに追放しようとした時、映画が、TVが、音楽が、文芸が衰退をはじめた。  これは全く逆説的とも思える成り行きだった。  そうした風潮に対し、時間銀行は、その社会的責任から、サービスとして種々の調査、研究を行っていた。  それによると、人々が�無駄�と思わない時間の単位は、個人差もあるが、だいたい十五分程度であることが分かってきた。  その十五分こそが、省説家をはじめとする種々の創作活動家にとっての、ギリギリの舞台だった。  ——さて、俺の今日の仕事も終わりに近づいてきた。  しかし、今日手がけた原作小説「風と共に去りぬ」は難物だった。ただその筋書きだけを追えば、どうしても文芸作品としての香りが脱《ぬ》けてしまう。かと言って、原作を重視すれば、大胆な省文《アブリツジ》は不可能になる。  そこが、また、俺の腕のふるいどころでもあるわけだが、ともかく、一応|納得《なつとく》のいく省説「風」は完成した。  俺は時計を見る。  三時五分過ぎだ。  時間を引き出して気が楽になったせいか、仕事が順調にはかどったのだ。  ぼんやりと|〆切《しめきり》りの四時を待つのも無駄だから、残り五十分ほどは、再び銀行に預けることとし、俺は予定表をのぞきこんで四時以降のスケジュールを確認した。  今日は夜の七時から、同じ省説家仲間の主催するパーティがある。  案内状には九時までとあるが、どうせ二次会、三次会へと流れるに違いない。  こんな商売をしているせいか、逆に鷹揚《おうよう》な時間使いをしたがる仲間が多いのだ。  それにつきあわずに、ケチだと思われるのもシャクだから、今日の時間としてもう二時間ほど引き出しておいた方がいいだろう。そのかわり、家を出る六時までを、そっくり預ければ、差し引き残高はそう変わらないはずだ。  俺は急にそわそわ電話機に手をのばして、銀行の番号をセットした。  そうしながら、明日の仕事のためのファイルをのぞいてみた。  今度はどうもSFらしい。  タイトルは「愛に時間を」原作/ロバート・A・ハインラインとある。  これも、長い。めちゃくちゃ、長い。  俺は顔をしかめた。また〆切りに遅れて、時間を持ち出すようなことになっては、とても割に合わない。  省説家の地位向上のためにも、作品選択権を主張すべきだ、などと思いつつ、さらにファイルをめくってゆくと、担当者が書いたらしいメモが一枚出てきた。  そこには、この原作を省文化《アブリツジ》するにあたって参考にして欲しい、という意味の言葉とともに、前世紀のアメリカ人作家ロジャー・ディーリイが書いたとされる史上最短のSFなる作品が紹介されている。  俺はそれを読んでみた。  ——時間は終わった、昨日で。 (なるほど、これもひとつの手だなあ。だが、俺ならこれを�時間が赤字だ�と省説化するところだ。その方が、社会風刺もきいてくるし……)  などと考えているうちに、ようやく時間銀行の交換が出た。 「大変、お待たせいたしました。皆さまの時間節約にお手伝いする、東京タイム・バンクでございます……」  そうそう、ちょうど今ごろは、時間の出し入れで、いつも銀行は混み合っているんだっけ。  減量方程式  彼は一人ではなかった。  その事実を、計器盤の白い針が明白に示していた。操縦室の後部、補給物資倉庫に何かがある。熱を放射する、ある種の物体が……。  ノリオ・ゴドウィン中尉は、そっと舌打ちすると、星間連絡艇≪スペース・カレント≫号のパイロット・シートから立ち上がった。  この先十か月にわたる単独飛行は、今、はじまったばかりだった。  しかしどうやら、彼は、十か月間たっぷり悪夢にうなされそうな嫌《いや》な仕事を片付けなくてはならなくなったようだ。  白い針が示すもの、それは密航者以外には考えられなかったからだ。  ノリオ・ゴドウィン中尉は、武器キャビネットから熱線銃《プラスター》をとり出すとそれを右手にかまえ、倉庫の戸口に移った。  こうした事態は、なにもこれが最初というわけではない。  これまでも、宇宙船への密航という企ては何度となく行なわれていた。  しかし、それはほとんどの場合、悲劇的な、喜劇的な、また全くバカバカしい結末を迎えるのが常だった。  だが、密航者はそのことを知らない。  知っていてもそれには目をつぶり、奇跡的に解決された数少ない成功例に頼って、冷たい方程式が支配する宇宙船内に忍び込むのだ。  しかしそこには、決して犯すことのできない厳然たる規則が存在した。  即《すなわ》ち——船内で発見された密航者は、発見と同時に直ちに船外に遺棄すること。  それがルールだったのである。 「出てこい!」  補給物資倉庫のドアを押し開けると同時に、ノリオ・ゴドウィン中尉は叫んだ。 「そこにいるのは分かっている、出てくるんだ!」  荷物の陰で、何かが動いた。  彼は熱線銃の銃口を油断なくそちらに向けたまま、密航者が現われるのを待った。 「分かったわよ——あきらめたわ。さあ、どうするの?」  それは思った通り若い女だった。  これまでの例でも、密航者の大部分はなぜか若い女ばかりだった。一度だけ動物の密航が報告されているが、これもその動物が若い女を装っていたという。  その理由はなぜか。  それは彼女たちが質量と推力の関係という最も単純な物理法則を、絶対に理解しようとしないためだった。 「二人いて困るのなら、ほら、あたしたち、一心同体になることもできるんじゃなくて?」などと、パイロットを誘惑する密航者もいたという。  この場合問題なのは、もちろん人数ではなく質量なのだ。  ノリオ・ゴドウィンは熱線銃を女に突きつけたまま、宇宙船の密航者規則を書き出した貼《は》り紙を指差してみせた。 「さあ、これを読め。そして分かったら、エア・ロックから出ていくんだ。放り出されん内にな」  彼女はそれをゆっくり時間をかけて読んだ。  そして、彼に向き直った。 「でも、規則には、必ず抜け道があるんでしょう?」  彼女は、まだあどけなさの残る笑顔で彼に言った。  中尉は、はじめてまじまじとその女の顔を見た。  年の頃は十六、七。女というよりは少女に近い。しかも、なかなか可愛らしい、ちょっと小太りの女の子だ。  その彼女の無邪気な笑顔を見ている内に、彼の心の中に、冷たい方程式に対する挑戦《ちようせん》の気持ちがむらむらと湧《わ》き起こってきた。 (そうだ、規則には、どこかに抜け道というものがある。こんな可愛らしい少女を、むざむざと宇宙に放り出してたまるものか……) 「よし、分かった。なんとか考えてみてもいい。まず、きみに、きみの置かれている状況を説明しよう。この連絡艇は、タラン星系からミガロ星系まで、約十か月かけて航行する。この間、最初の四か月を一G加速、続く二か月を無重力状態で過ごし、残りの四か月をやはり一Gで減速する。この船には、ミガロの人々に運ぶ貴重な薬品が積まれている。それを出来るだけ多く積むために、乗員はわたし一人しかいない。燃料も、少しの余裕を除けば、ちょうどギリギリの量しか積んでいない。つまり、きみ一人分の質量が増えれば、この船はミガロに到着できない……」  言いながら、ノリオ・ゴドウィン中尉は、はっと名案を思いついて顔を輝かせた。 「そうだ、ちょっと訊《き》くが、きみの体重は何キロだ?」 「え、えっ? 体重ですか……」少女はちょっと口ごもりながら答えた。「えーと、四十八キロくらいだと思います」 「嘘《うそ》を言っても質量計で確かめれば分かることだ。これは、きみとわたしの生死に関《かか》わることだ。正確に、本当のことを言ってくれ」  中尉が言った。 「え、ええ……本当は五十三・八キロくらいだと思います」  少女はうなだれて言った。 「よし、分かった。わたしも最近ちょっと太り気味で七十四キロはある。つまり二人あわせた体重は約百二十八キロということだ……」  中尉はすぐさま、艇内コンピューターに向かって計算を命じた。 「……おい、ハル! すぐに出して欲しい答がある。いま、この艇内には、体重五十四キロの密航者がいる。本来なら、すぐ艇外に遺棄すべきなのだが、そこでおまえの天才的な頭脳で考えてもらいたい」  中尉はコンピューターのハルにゴマをすった。  ハルは機嫌《きげん》よく、�ピーピー、カチカチ�と応じた。 「まず、艇の運行にさしつかえない器具をすべて始末し、それから我々二人の生存にとって最低限の食料と水だけを残して、あとは棄《す》ててしまうこととする。そして、このまま予定通り、加速・慣性飛行を続け、六か月後の減速期に、この艇の燃料は何キロまでの人肉をのせる余裕があるか、それを教えてくれ」 〈……ピー・カチ・カチ……〉  ハルは答えはじめた。 〈……指示サレタ処置後ノ状態デ六カ月間運行スルトシテ、ソノ後許サレル質量ハ九十八キロ……コレハ、予備燃料ヲ全《すべ》テ使ッタ場合……〉 「おお、九十八キロか。分かるだろう、きみ! 今、二人合わせた体重は百二十八キロ……これを六か月間で九十八キロに減らせば、我々は二人して助かるんだ。つまり、二人で三十キロ——一人あたり、十五キロ減量すればいい。幸い、二人とも、決してヤセ型じゃない。余分な肉が十五キロくらいは必ずある。よし、頑張《がんば》ろう! 新しい宇宙の方程式をうちたてるために!」  ノリオ・ゴドウィン中尉は叫んだ。  そして、二人の、涙の減量作戦が開始された。  一か月後……中尉七十一キロ/少女五十二キロ  二か月後……中尉六十八キロ/少女五十キロ  三か月後……中尉六十五キロ/少女四十八キロ  この頃《ころ》、二人の間では、みにくい中傷合戦がはじまった。 「いいか、わたしはきみのためにもう九キロも減らしたんだぞ。それなのに、きみはまだ六キロだ。あっ! やめろ、そんなに食っちゃいかん!」 「だって、あなたは背も高いし、それに明らかな中年太りだわ。でも、あたしは育ち盛りで、しかも、太ってるんじゃなくて、グラマーなだけじゃない。差が出て当然よ」  四か月後……中尉六十キロ/少女四十四キロ 「どうだ、きみ。ようやくメドがついてきたじゃないか。あと二人合わせて六キロ減量するだけでいいんだ。もう成功したも同じだ」 「まあね。でも、あたし、おなかが空《す》いて、もうフラフラ……こんなこと続けたら、きっと死んじゃうわ……」  減量は確かに成功しつつあった。しかし、急激にやつれ、しかも怒りっぽくなった少女を見るにつけ、中尉は最初彼女に感じた魅力をすでに疑いはじめていた。  若い女の子は、少々太り気味であってこそ可愛らしいのだ、という定理を、彼は身にしみて教えられる結果となったのだ。  そしてそのことが、彼の情熱を次第に冷ましていった。  五か月後……中尉六十二キロ/少女四十四キロ  さらに悪いことが重なった。  連絡艇は四か月の加速期間を終え、無重力状態の慣性飛行に移っていた。  この無重力状態は、人間の筋肉をどうしても弛緩《しかん》させ肥満に導く。  そしてついにタイム・リミットの三日前……中尉六十一キロ/少女四十五キロ 「そんな! あんまりだわ……こんだけ苦しい目に会わせておいて、たった八キロ多いからって、あたしをここから放り出すつもりなの!? だってまだ到着まで四か月もあるんでしょ? それだけ時間があれば、きっとナンとかなるわよ。ね、お願い」  少女は必死で彼に泣きついた。 「いや、駄目だ。減速のためのロケット再点火の際、質量が上限をオーバーしていれば、この艇は目的地に着くことができない。信じようと信じまいと勝手だが、ハルはそう言っている。そして、わたしには規則を守らねばならない義務がある」  ノリオ・ゴドウィン中尉は、すっかりやせこけた、ただの小娘に冷たくそう宣言した。 「ま、まあ! あなたって結局そういうヒトだったのね。いいわよ、死んでやる。ええ、死んで見せますとも。なによ、規則、規則ってエラそうに!」  少女は半狂乱になってわめき散らした。 「いいですとも、ああ、いいですとも。でも、あたし、こんな空腹のまま死ぬのは絶対にいやよ! この六か月間、あたしはずっと空腹だった。もう、満腹の感じなんて忘れてしまったほどよ。ええ、いいですとも。あたし、残された三日間、六か月分を食べて、食べて、食べまくってやる。もうこれからは、肥満のことなんて気にする必要はないんですからね」  そう言い終わるやいなや、少女は食料倉庫に駆け込み、その言葉通り、三日三晩、ただひたすら食べ続けた。  中尉は、そんな少女の姿を、黙って悲し気に眺める他なかった。  そして再点火のはじまる十分前、少女は自主的にエア・ロックに入り、そして、艇外に出て行った。  …………  再点火は成功だった。  ノリオ・ゴドウィン中尉は、六か月ぶりの孤独と静寂の中にいた。  この旅も、あと四か月……少女に対する後めたさはやはり残ったが、「わたしはわたしなりに努力したのだ」と自分をなぐさめた。  久しぶりのGにも慣れ、くつろぐ内に、中尉は急に自分をさいなむ激しい空腹感に気がついた。 「そうだ、今日からはもう、減量の心配はいらないんだ」  そう思うと心が晴れた。  中尉は立ち上がり、食料倉庫のドアを開いた。  そして一瞬の後、鋭い悲鳴が≪スペース・カレント≫号の艇内に響きわたった。  少女は確かに言葉通り、六か月分の空腹を完全に満たしてから、艇を出て行ったようだ。  しかしノリオ・ゴドウィン中尉には、あと四か月の旅が残っていたのである。  ホット・マネー  俺《おれ》の目の前にあるのは、一億円の現ナマだった。  それ以上でも以下でもない、きっかり一億円だ。  日本銀行を出てから、一度も破られたことのないシールに包まれた一万円札が、五百枚ずつ二十束。つまり、パリパリの新札一万枚が、今、現実に、俺の目の前に積み上げられていたのである。  俺は放心状態にあった。  その理由はふたつある。  ヤケッパチで、計画もなにもなしに決行した銀行強盗が、余りにもあっけなく成功してしまったことによる虚脱感——  そして、命がけで奪いとった現ナマが、一枚残らず使用不能のホット・マネーであることを知った絶望感が、俺の頭の中をすっかり空《から》っぽにしていたのだ。  ホット・マネー……それは、危険なカネという意味である。  もともと、俺は、本職の銀行強盗などではない。だから、プロなら当然もっているに違いない知恵が、俺にはまるでなかったのだ。  モデルガン片手に、カウンターを乗り越えた時の俺は完全に逆上していた。  ともかく、金が欲しかった。  俺はまっ先に目についた現金輸送用のバッグをひっつかみ、その中身が紙幣の束であることだけを確認して逃走した。  しかし、今、TVや新聞は、そんな俺のマヌケさ加減をいいように叫びたてている。  俺が盗んだ一万枚の連続した紙幣番号を繰り返し報道し、そればかりか、犯人がこの紙幣を一枚でも使用すれば、たちまちアシがついて逮捕のきっかけになるであろう、とごていねいにも警告をつけ加える。  こういうカネのことをホット・マネーと呼ぶのだと俺に教えてくれたのもマスコミだ。  で、俺は、なんの役にも立たない一億円の紙くずを前にして、ただぼんやり落ち込んでいるというわけだ。  さっきも言ったように、俺はプロの犯罪者ではない。  俺をこんな大胆な行動に追いやったのは、あの無慈悲なサラ金業者たちだ。  俺はある一流広告代理店の営業マンだった。三年前に、ローンでマンションを買った。仕事は順調だったし、生活に不安はなかった。しかし、広告の仕事にはどうしても自己投資が必要だ。ローンの支払いをはじめたからといって、お得意の接待をケチったりするわけにはいかない。  そこで俺は軽い気持ちでサラ金の利用をはじめた。  昔から広告マンのサラ金利用は活発だ。ことに最大手のD社は有名で、もし、この代理店が倒産すれば、築地近辺のサラ金業者は軒並み首を吊《つ》らねばならないだろう、などと言われている。  ともかく、俺にとっては、それが地獄の片道切符だった。  利子が利子を生み、その利子を払うためにまたサラ金のやっかいになった。そんなことをしているうちに、俺の負債額は、いつしか三千万円を突破していた。  女房は実家へ逃げ帰り、俺は会社を辞めざるを得なくなった。退職金を返済に回すためだ。  しかし、どうにもやりくりがつかなくなって、俺の打った大バクチが、今回の銀行強盗だったのである。  それは見事に成功した。だが——  俺はヤケ酒をあおりながら、こっそり買い集めた各社の新聞を読むともなしにめくりはじめた。  どこを見ても、俺のしでかした事件の記事ばかりだ。  いい加減うんざりして、新聞を放り出そうとした時、俺は社会面の下段に、目立たない奇妙な見出しを発見した。 二千万円の援助を訴える 町のタイムマシン学者 〈……大学理工学部教授の職を退いてから十年、ひたすらタイムマシンの実現をめざして研究を続けてきた中川博士だが、ついにこのたびの破産宣言となったもの。「あと一歩だ。ここに二千万円の制御用コンピューターのブラック・ボックスを取りつければ、完成するのに……」と博士はいかにもくやしそう。これからは、広く民間に援助を訴え、なんとしてもこの夢の機械を実現させたい、と語っている……〉  ぼんやりと記事を眺めていた俺は、突然がばと立ち上がった。 (タイムマシン……二千万円……)  俺は狂ったように札束の山に飛びついた。  そしてシールを破り、いくつかの束をかきまぜて、そこからひと山約二千万円分を抜き出した。  それをあちこちのポケットに押し込み、残りの現金は手近にあった木箱につめ込んだ。  そして、新聞の記事を破りとると、そのまま木箱をかついで家を飛び出した。  その時の俺の考えは、こうだ。  まず、この科学者に二千万円を与えてタイムマシンを完成してもらう。そして、それに乗って、まだ銀行強盗が発生していない過去の時代へ、残りの現金ごと送り込んでもらうのだ。  そうすれば、ホット・マネーは安全な、ただの札束に変わるわけだ。こんな簡単な解決策はない。  俺は通りがかりのタクシーをつかまえ、新聞に出ていた中川タイムマシン研究所の住所を告げた。  そして古ぼけた研究所をやっとのことで見つけ、その建物に駆け込んだ。 「誰《だれ》じゃな?」  奥から、牛乳ビンの底ほどもある分厚いメガネをかけた白衣姿の老人が姿を現わした。 「中川博士ですね?」 「いかにも、わしは中川じゃが……」 「あ、あなたの必要としているブラック・ボックスとやらは、作るのに時間がかかるんですか?」  俺は息せき切って、そうたずねた。  博士の顔が急に輝いた。俺がどうやら出資希望者らしいと気付いたのだろう。 「うんにゃ、そんなことはない。秋葉原へ行けばいくらでも手に入るのじゃ。ただし、高価なものでのう。どう値切っても、システム全部で一千四、五百万円にはなる。ところがわしは、ついに破産宣告された身じゃ。その最後の部品がどうしても購入できぬ。だが、それさえ取りつければ、まちがいなくマシンは作動するのじゃ」  中川博士は腕を振り回し、ツバを飛ばして力説した。 (秋葉原か……それなら、なんとかなるかもしれない)俺は考えた。(たとえこの金が紙幣番号から盗まれたものだと発覚するにしても、店頭で、ということはないだろう。まさか、銀行強盗がコンピューターの部品を買いにこようとは誰も考えまい。とすれば、その間に、俺は過去へ高飛びできる!) 「博士、そのブラック・ボックス、わたしに寄贈させてください。ほら、この通り、お金は持っています。そのかわり、このわたしを実験第一号として過去の世界へ送り込んで欲しいのです!」  俺は叫んだ。  ところが、急に、博士の顔が曇った。 「いや、まことに申し訳ないが、それはできんのじゃ。まだまだ実験段階でのう、時間転位させられるものの容量が限られておるのじゃよ。人間は無理じゃ。せいぜい、あんたが持っておる、その木箱ぐらいなら……」  博士は、俺がポケットからつかみ出した札束と腕にかかえた木箱を見比べながら、無念そうに言った。 「えっ!?……で、でも、この木箱なら、たとえば三年前くらいの過去へ送れるんですか?」  俺は訊《き》き返した。 「おお、もちろんだとも。そのくらいの性能は持っておる。ただし、場所まで指定できない。この研究所の四方十キロ以内に、それを届けることはできるのじゃが……」 「そ、それで結構です。よろしい、出しましょう! わたしに二千万円出資させてください!」  俺は、博士のそでを引っ張るようにして研究所を出た。  またタクシーをつかまえ、秋葉原へ急いだ。  そして、即金でブラック・ボックスの部品を購入すると、すぐさま研究所へとって返した。  俺には考えがあった。  もちろん、抜群のアイデアだ。  俺は、博士がブラック・ボックスをタイムマシンに接続している間に、現金をつめた木箱を荷造りした。  俺あての住所を表に書き込む。もっともらしく荷札もつけた。  過去の世界へ、これが到達した時、いかにも配達車からこぼれ落ちた小荷物のように見せかけるためだ。  そして包装を済ませる前に、俺は俺あての長い手紙を書き、そこにすべての事情を書きつづって同封した。  俺は、残りの八千万円を、まだサラ金地獄にはまる前の俺に送り届けてやろうと考えていたのだ。  それが無事、過去の俺の手に渡れば、すべては解決だ。  俺は、サラ金などに手を出すこともないし、ましてや銀行に押し入る必要もない。  しかも、全く安全な大金を自由に使えるというわけなのだ。  そうなれば当然、警察に追われている現在の俺という存在も一変して、大金持ちのエリート・サラリーマンでなくてはならなくなる計算だ。 「さあ、あんた! タイムマシンは完成じゃぞ!!」  博士の大音声《だいおんじよう》が作業場から響きわたった。  俺はバネのように立ち上がると、小荷物をかかえ、一目散にそこへ駆け込んだ。     *  俺は買い入れたばかりの豪華なソファに寝そべって、昼間からコニャックをなめていた。  未来の俺の警告を尊重して、ムチャな金使いはいっさいしていない。  しかし、これくらいのぜいたくは許されていいだろう。  今日は日曜、マンションのルーフ・ガーデンからは、妻と子供の笑い声が聞こえてくる。  自己資金に不安がないから、営業の仕事も順調そのもの。だから、少々他人よりハイ・レベルな生活を送っても疑われる心配はない。  だいたい、疑われるそもそもの理由がないのだ。  なにしろ、あの金はすべて安全なクール・マネーなのだから……。  気をつけなければならないのは税務署くらいのものだ。  その時、玄関のチャイムが鳴った。  俺はハバナ産の葉巻をくわえたまま、リビング・ルームを出ると、玄関のドアを開けた。  そこにはふたりの男が立っていた。 「岡田明さんですな。我々は警視庁特捜部の者です。これから署まで、ご同行願いましょうか」  年かさのひとりがぶっきらぼうに言った。そして、逮捕令状を差し出した。  俺はぎょうてんして目を剥《む》いた。 「い、いったい、なんのつもりだ、失礼な。わたしには、これっぽっちもやましいところはない。冗談も休み休みにしてくれたまえ!」 「岡田さん、あなたの容疑は、一万円札の偽造ならびに、同偽造紙幣使用に関するものです。心あたりがおありでしょう?」 「し、知らん、知らん。どうしてわたしがニセ札など作らなくちゃならないんだ!? こんなことを言うのもナンだが、わたしはこれっぽっちもカネに不自由してはいない。使い道に困るくらいの財産をためこんでいるんだ!」  俺は怒鳴った。 「まあ、使い道に困るのは確かでしょうなア。ともかく、ニセ札なんですから」  若いほうの刑事が苦笑した。 「我々も、あのブツにはまいりましたよ。専門家が、素材、印刷とも本物と全く変わらない、と鑑定するくらいでね。ただ、おしいことに、紙幣番号からアシがついた」 「なんだと!? あのカネがおかしいとでもいうのか?」 「�あのカネ�ですって?」  刑事は意地悪く俺をにらんだ。 「……そう、あのカネは確かにおかしかった。いいですか? あの一万円札の紙幣番号は、まだ現在印刷されていない未来の番号だったんです。そこからアシがついた。大蔵省のハナシだと、あの番号の一万円札が印刷されるのは、三、四年先のことらしい。こりゃおかしい、確かに、おかしい……」  刑事の手には、すでに手錠が握られていた。  *作者註——この作品を書いた時点で、紙幣のデザイン変更は決定していませんでした。ですから、一九八八年以降の物語とお考えください。  冥土 IN JAPAN  重苦しい曇り空だった。  イリノイ州ビンセンズ郊外の小さな町オルドウには、早くも冬の気配がただよっていた。  しかし、その寒空の下、もう二時間近くも、一軒の家を見つめたまま動こうとしない人影があった。  黒い僧服に身を包んだその男の名は、コーネル神父といった。  彼は途方に暮れていた。激しい苦悩が、彼の眉間《みけん》に深いシワを刻んでいた。彼は首から吊《つ》るした十字架を無意識のうちに持ち上げ、それに接吻《せつぷん》すると、指を組んで祈りの言葉を唱えた。  もう、同じ動作を、さっきから、何十回、いや何百回繰り返したことだろう。しかし、啓示は、未だ彼に訪れてはいなかった。  と、彼は、街道の方から近付いてくる大型車のエンジン音を聞いて振り返った。  バスだ。一台の長距離《グレイハウンド》バスが土煙を巻き上げながら、道をやってくる。  コーネル神父は、ぼんやりとそれを目で追った。  やがてバスは、道端の停留所に車体を寄せると、ひとりの小柄な男をそこで降ろし、そしてまた走り去った。  男は東洋人のようだった。体格は貧弱だが、その全身に、何か強靭《きようじん》な精気のようなものがみなぎっていることを、コーネル神父は直観的に見てとった。  神父はなおも男を見つめ続けた。  男は粗末な布のバッグを肩にかつぐと、そこからゆっくり神父の方に近付いてきた。  やがて二人の目が合った。  神父は静かに目礼を送った。男もそれに目で応《こた》えた。  男は道を横切り、そして神父のかたわらに並んで立った。そして、神父がこれまで見つめ続けていた家に目をやった。 「……これは、ひどい……」  男の口からつぶやきが洩《も》れた。 「何ですって? あなた、何かを感じるのですか?」  コーネル神父は驚いて、その男に問い返した。 「ひどい……まったく、ひどい……この家は呪《のろ》われている。霊が、家にとり憑《つ》ついている……」  男はひとり言じみた声で、そう言った。  かすかに訛《なま》りはあるが、長く旅を続けてきたらしい慣れた英語だ。  神父の目が、きらりと光った。 「あなた、やはり、それが分かるんですね? そうですか……やはり……いや、これは失礼。まず、こちらから自己紹介をさせてもらいましょう。わたしはニューヨークからやってきたコーネルという神父です。実は、わたしは、ここへ、|悪魔祓い師《エクソシスト》として派遣された人間なのです。それというのも、この地方の教会から、悪い霊のとり憑いた家がある、何とか助けて欲しい、という依頼があったためなのですが……」 「ふーむ……」  東洋人は、その古ぼけた洋館に目を向けたまま、口を開いた。 「わたしは、日本人、榊原《さかきばら》明公と申す者。彼《か》の地で、若い頃《ころ》より深山にこもり、霊感師の荒行《あらぎよう》を十五年続けておりました。先年、ついに祈祷《きとう》と霊視の術を会得《えとく》し、今は世界を巡る武者修行の途次。ここでこうして、あなたと出会ったのもきっと前世の因縁でありましょう」  榊原と名乗った日本人は、浅黒い顔を微《かす》かに引きしめた。 「おお、これは何と心強い!」  コーネル神父は叫んだ。 「わたくしが、この館《やかた》へ来てから、もう五日目。これまで、悪魔|祓《ばら》いの秘術をつくし、悪霊《あくりよう》を追い払おうと努力してきたのですが、どうにも歯が立ちません。霊の正体すらつかめない現状です。どうも、ただならぬ力を持った悪魔が、主の御業《みわざ》に挑戦《ちようせん》しているらしいのです」  神父の声には、すがりつくような調子があった。 「よろしい、神父。微力とはいえ、この榊原明公、霊感師の誇りにかけて、館にとり憑くものを霊視してみることにしましょう」  小柄な日本人は、きっぱりとそう答えた。  そして、不思議な形に手を組むと、館をしっかとにらみすえ、腹の底から出るような低い声で奇妙な呪文《じゆもん》を唱えはじめた。 「うむ、うーむ……見えましたぞ、霊の姿が!」  しばらく後、気合とともに、榊原が言いきった。 「な、なんと!? で、悪魔の正体は?」  勢い込んでコーネル神父は訊《き》いた。 「うーむ……この家に憑いておるのは、ご先祖の怨霊《おんりよう》にまちがいない! うむ……しかし、また、これは、ひどい! 神父、どうやら、この家のご先祖の遺骸《いがい》は、そのまま、どこかに埋められておるらしい。まさか、非業《ひごう》の死をとげられた方ではあるまいな?」 「まさか! そんなことはないはずです。この館を建てたランドル家の祖父どのは、きちんと、町のはずれの墓地に埋葬されている」  慌てて、神父が答える。 「いや、そうではあるまい。わたしの耳には、お骨《こつ》になりきれず土の下で腐りかけた肉の穢《けが》れをうらむ声がはっきりと聞こえる。そのご先祖は、灰とならぬまま、埋められたのじゃ。まちがいない!」  榊原の声が一段と高まった。 「し、しかし、それは当然でしょう。祖父どのがなくなられたのは、まだ半年ほど前のことと聞いています。遺骸が骨になっていないことは充分に考えられる。それに彼は、火事で焼け死んだわけではないから、肉が灰になっているわけはない……」  混乱した神父は、激しく首を横に振った。 「そればかりではない……このご先祖は、初七日の法要をお受けになっていない。四十九日も……ひどい、余りにも……これでは、どれほど徳の高いお方でも、成仏《じようぶつ》はできぬ道理じゃ! 親類縁者、誰《だれ》ひとりとして、卒塔婆《そとば》ひとつおあげになっていない。供養というものが、まったくできていないではないか! この方には、身寄りというものがおられぬのか!」  榊原が怒気もあらわにそう叫んだ。 「そんな……そんなことはありません。ランドル家は、この地方の名家のひとつ。一族の方々は、大勢近くに住んでいます。しかし、あなたの言われることが、わたしにはどうも、今ひとつ……」  榊原の大音声《だいおんじよう》にすっかり気圧《けお》されて、神父はおろおろしながら、そう答えた。 「まだまだ、あるぞ! このご先祖には、墓があるという。しかし、わたしが霊視したかぎり、それは墓などと言えるものではない。だいたい、方角がでたらめだ。これではご先祖の成仏を妨げるばかりか、冥界《めいかい》の鬼どもを呼び寄せたがっているようなものじゃ! うーむ、ええいっ! 悪霊、退散! 悪霊、退散!」  日本語をまじえてわめき散らしながら、榊原は、両手を幾度も打ち振った。 「ミ、ミスター、サカキバラ……いったい、何がどうなっているのか、もっと分かりやすく説明してください。そして、どうすれば、この館に憑《つ》いた悪霊を追い払えるのか、それをお教えいただきたい」  目を吊《つ》り上げて呪文を唱える榊原の腕に、コーネル神父はしがみついた。  ともかく、すでに万策つきた神父にとって、今、頼ることができるのは、この日本人しかいなかったのだ。 「よろしい、お話ししましょう……」  肩で息をつきながらも、ようやく我に返ったらしい榊原が、喋《しやべ》りはじめた。 「とにかく、一度、ご親族の方々に集まってもらわないことには話にならない。その上で、きちんと御供養をいとなまれることが、何よりも大切なことですぞ。それと、ご先祖の怨霊のそばに、この近くで、交通事故にあわれた子供の霊も見える。やはり、思いが残っているのでしょう。このお子さんのためには、ご両親が地蔵ひとつでも道端に置いてあげなくてはなりますまい。お地蔵さんには、ランドセルを背負わせ、学生帽もかぶせて、生前その子が好きだったお菓子でも供えてあげるのが、一般的なやり方でしょう」  男は静かに言うと、コーネル神父に一礼した。 「何も、豪華にお祀《まつ》りする必要はないのです。まごころと、そして、その霊にかなった供養さえ忘れなければ、誰もが皆、御仏の導きで成仏できるのです。しかし、それが実行されないかぎり、この館のように、怨霊がとり憑く騒ぎがもちあがる。よろしいですな? なに、簡単なことです。縁のある人々のまごころさえあれば、すぐに、この館の霊は、冥土へと旅立つことができるのです。しかし、それができないようなら、このような事件はますます増えてゆくことでしょう」  男は、ひとり納得したようにうなずき、そして、立ち去っていった。  後には、暗い冬空の下、コーネル神父ひとりがとり残された。  厳しい寒気の中で、神父は妙に生臭い風が吹いてくるのを感じて背すじを震わせた。 「ええい、日本人め。小型車攻勢がおさまったら、今度は、冥界のシェアまで……」  一発!     3! 「えー、こちら二番機。現在、能登《のと》半島沖十二カイリ……前方二時の方角に、未確認機発見。高度二万五千フィート……いつものソ連定期便だ」 「はいよ、了解! 俺《おれ》も視認した。ありゃ、旧式のTU‐16バジャーだな……一機だけだ。よし、そろそろ警告を出してやれ」 「へい、へい……えーと、�ここは、日本の領空なり。ただちに退去せよ! と……イジーイズ・ゾーナ・イポーニ!……�」 「あれっ……あいつ、まだ進路を変えないぞ! いい根性しとるやないか。いっちょ、おどかしてやるか」 「三番機、了解!」 「アフター・バーナー! 接敵態勢とれ!」 「ひょーっ! やっぱ、F‐15は加速がちがうぜ! マッハ一・五……一・七……」 「よし! そのまま上空から突っこんでやれ!」 「ワハハッ……テキさん、あせって高度を下げてやんの。ソリャ、ソリャ、逃げろ、逃げろ!」 「ちっ、ヤロウ! なまいきに、砲座をこっちに向けてるぜ! 領空を侵犯しときながら、なんて態度だ」 「撃てるもんなら、撃ってみやがれ! こっちも、昔の自衛隊機とはちがって、バッチリ、空対空ミサイル〈スパロー〉を、四発装填《そうてん》してるんだぜ」 「けど、あっちだって、そう思ってるだろうよ。いくら実弾積んでても、撃てるわきゃないってな」 「そりゃそうですが……くそっ! 一発、ぶちかましたら、どんなにスッキリするか……」 「ああ……俺なんて、二日に一度は、その夢を見る。一発だ! たった一発でもいいから、本物のターゲットに、ミサイルを叩《たた》きこんでみたいもんだ……」 「……ねえ……隊長、やりましょう」 「やる? なにを……?」 「その、一発ってのを」 「バカな! そんなことをしたら、戦争になっちまう」 「いや……分かりゃしませんよ、みんなで黙ってれば。こないだだって、新潟沖でバジャーが墜落したじゃないですか。テキさんも、まさか、我々がホントに攻撃してくるなんて思っちゃいない。だから、うんと近くまでいって、救助信号だせないように一撃で落とすんですよ。そして、あとは、勝手に墜落したってことにすれば……」 「そう、うまくいくものか……」 「意外と、だいじょうぶってこともありますよ。アメリカや韓国空軍ならいざ知らず、自衛隊機が、ソ連機を平時に攻撃するなんてこと、世界中の誰が信用するもんですか……こりゃ、盲点かもしれませんぜ!」 「盲点……一発だけ、か……」 「ほら、やつは海上スレスレまで降下した! 今なら、小松基地のレーダーからもはずれたはずだ。幸い、船も近くにはいない。やつを見てるのは、我々だけってことです」 「ふーむ……まあ、もし味方にバレたとしても、日本政府がそんな事件を公表するわきゃないしな……」 「それ! それですよ。チャンス! 一生に一度のチャンス!」 「ウウウウーム……よーし、くそったれ! レッツ・ゴー! 突撃だァ!」     2! 「こちら、シェラビンスキイ……ウラジオストック、聞こえるか……」 「……シェラビンスキイ……こちら、海軍司令部、現在地知らせよ」 「我が艦は、現在、日本海を水中十五ノットにて北上中……北緯三十八度三十分、東経百三十七度二分……」 「了解……ではこれより、すぐ反転して、所定海域に急行されたし」 「どこへ向かえばよいか?」 「能登半島の北、七ッ島近傍……詳しくは追って指示するが、我が極東長距離空軍の�東京急行�偵察機が、その海域で消息を絶った。なんらかの原因で、墜落したものと思われる。ちなみに、同機は、その時点で、日本機のスクランブルを受け、迎撃機に追われていた。ある種の軍事的接触があった可能性もある。戦闘態勢をとり、潜航したまま、慎重に接近せよ!」 「了解! シェラビンスキイは、ただちに作戦任務につきます」 「艦長、また、墜落ですか?」 「また、とはなんだ、またとは! まあ、しかし、よく落ちることは確かだ。司令部は、軍事的接触などと言っているが、日本機が我がソ連機を攻撃するわけはなし……我々だって、海上自衛隊相手なら気楽なものだ。なにしろ、相手はロクに弾薬も積んでいないんだからなあ。戦闘態勢など、とろうがとるまいが、同じことだ……」 「まったく、はりあいがありませんね」 「核魚雷も、こう長い間発射管にしまっておくと、そのうちに腐ってしまうかもしれないぞ……ああ、ベトナム戦争中に物資輸送していた頃の方が、まだ面白かった」 「艦長、一発ぐらい、任務中に魚雷の威力を試してみたいなどとは思いませんか?」 「まあ……思わないと言ったら、ウソになる。機会さえあれば、だが……現在の軍事力というのは、あくまでも抑止が目的だ。使用しないことを前提に、武器を作っているようなものだ。しかし、これでは、何のための軍隊か分からない……」 「艦長! 前方に狭い水道があるようです。しかし、その中間地点に、なにか、全長百メートルほどの物体があり、進路をふさいでいます。一応、識別信号を送ってみたのですが、応答ありません。どうしましょう?」 「回避できないのか?」 「浮上しないかぎり、無理のようです。ですが、海上へ出れば、対潜艦艇などに発見される恐れがあります。ここはすでに日本の領海内、見つかれば面倒なことになるでしょう」 「うむ……では、どうする? その物体とは、何なのだ?」 「……艦長……そいつは、クジラか何かではありませんか?」 「バカな! 百メートルもあるクジラがいてたまるか」 「いや、ものは考えようでしょう。それは、きっと、クジラですよ。ねっ? 艦長、クジラだからこそ、こっちの問いかけにも答えないんですよ」 「なんだ!? 何が言いたいんだ?」 「つまり、任務を遂行するために、クジラを一頭、魚雷でやっつけたって、問題はないんじゃないか………わたしは、そう考えたわけです」 「うっ……それは、つまり………しかし……なるほど、クジラ、か……」 「そうです、クジラです。まちがいない」     1! 「パトロール中の、戦略空軍《SAC》全部隊に告ぐ! ただ今、非常警報が発令された。極東水域において、我が海軍のポセイドン型原潜が爆沈したとの情報がある。巡航ミサイル装備のB‐1部隊は、東欧国境付近に急行し、次の指令を待て!」 「ヘーイ、チャーリイ、警報だぜ。爆撃手を起こしてきてくれ。うしろの方で昼寝してるはずだ」 「どうせ、おなじみのコンピューター故障だろう。先月もそのおかげで、夜中に叩き起こされて緊急発進だ。まったく、疲れるよ」 「いっそ、本番ならなァ……俺だって、しゃきっとくるんだが……おっ、テッド、起こしてすまない。警報がでたんだ。分かってるよ、そう怒るな。しかし、緊急事態に、爆撃手が酔っぱらって、寝てたとあっちゃあ……よせよ、しかたがないじゃないか。おい、チャーリイ、テッドをとめるんだ!」 「やめろ! こいつめ、ドラッグもやってるらしい、狂ってるぜ! テッド、悪かった、起こして悪かった! しかし、あっ、な、なにをするんだ! やめろ、テッド……」 「ワッ!? ま、まさか……ほんとに発射しちまったのか! オ、オ、オレは知らんぞ……あ、あーあ、もう見えなくなっちまった……」 「えらいことになったなァ……こいつ、昔から、巡航ミサイルを一発撃ってみたいって、そればかり言ってたからなァ……どうするんだ、いったい。あっ、テッドのやつ、気がすんだら、また寝ちまった……」 「まあ、やっちまったことはしかたがない。そうだ! 故障だ! 故障だってことにして、このまま、ハルツ山脈にでも突っこんでしまおう。もちろん、その前に、俺たちは機から脱出すればいい。それしかない!」 「さすが、機長! こんな野郎のおかげで営倉入りするんじゃ、ワリに合わない。故障なら文句もでないだろう。そうと決まれば、さっそく……」     0! 「おい! この衛星偵察写真を見ろ!」 「なんだ!? また、女の裸でも写ってるのか?」 「ちぇっ、ちがうよ、イワノビッチ。これだ、この影だ。B‐1から、黒い残像がのびてるだろう」 「何だろう?」 「何だろうって、何に見える?」 「まさか……ミサイルか?……これは、いつの写真だ!?」 「きっかり、一分前。ホヤホヤだ」 「戦略空軍が、非常態勢に入ってるって情報は、さっき聞いたが……」 「それさ! それだよ」 「た、大変だ! すぐ司令部へ知らせなくちゃ」 「いや、そんなことをしているヒマはない。この基地だけでも、すぐに反撃を開始しないと間に合わない!」 「そんなこと、独断で決定していいのか? こんな、不鮮明な写真一枚で!?」 「いいか! これは、チャンスなんだ。俺だって、本当に米軍が核攻撃をしかけてくるなんて信じちゃいない。だが、この写真さえあれば、お偉方には、どうにでも説明はつく。彼等だって、チャンスを待っているんだ。とにかく、先制することだ! 最初の一発! これが、カギだ。おまえだって、この基地を志願したからにはいつか一発、大陸間弾道弾を発射してみたいと思っていたんだろうが」 「まあ、その通りだ。なぜなら、我々は自分たちの衣食住をすべて犠牲にして、これだけの軍事力を蓄えてきたんだ。それを眠らしておくのは、人民に対する裏切り行為だ! まあ、ホンネを言えば、こいつらが、うまくアメリカに命中するか、どうか、そいつを試したくってウズウズしてたんだがね」 「ともかく、うまくいけば、オレたちは、ソ連人民英雄というわけか!」 「いや、世界人民の英雄さ!」 「ワハ……」 「ワハハハハハハハ……」  防災小隊 「……だけどさァ、心がまえの問題だぜ、これは。あのくらいの揺れ、地震だと思うから怖いんで、もし地震じゃなくて、戦争かなにかだと考えれば、別に大したことないんじゃないか?」  妙なことを言いだしたのは桜井だ。 「どういうことだい?」  野毛が訊《き》き返す。 「たとえばだよ、このアパートが、軍艦か、要塞《ようさい》だと思ってみなよ。それで、地震は、敵から攻撃を受けている状態だって考えるわけ。そうすりゃ、相当でかい揺れがきても、心がまえが違うから、オレたち、ゆうゆうと生きのびられるんじゃないかなァ……」  桜井は、大家《おおや》が配っていった防災ズキンをいじくりながら、のんびりした声で答えた。  ここは、学生下宿の一室。時間は午前一時を回っている。  今からちょうど二十分ほど前、震度四クラスの地震があり、この学生下宿の住民たちは、皆寝入りバナを叩《たた》き起こされた。  余震もかなり長く続き、彼等は三々五々、廊下や炊事場に集まって、不安そうに立ち話をはじめたのだった。  なにしろオンボロ・アパートのこと、いざ大地震となったら、どんな被害がでるか分かったものではない。  そこで、このアパートの名主格、某大七年生、稲垣が提案して、彼等は一室に集まり、深夜の緊急対策会議を開くことになったのだ。  このアパートは二階建て全十二室、そこに男子学生ばかり十二人が暮らしている。  まあ、全体が一種の合宿所のような雰囲気だから、誰《だれ》かが一声かければ、すぐに全員がどこかしらの部屋に集まる習慣だ。  ことに、ここ数か月、続けざまに中程度の地震が起こっている。  彼等はなかば真剣に、この防災問題を考えねばならない、と感じていた。  だから今夜は、明日はテストだ、などと言って抜ける学生もいない。  ガス当番を決めよう、とか、消火班を作っておこう、とか、その議論も、かなり具体的だ。  そこでとび出したのが、桜井の発言だったのだ。 「戦争!? なに言ってるんだよ、桜井。タマも爆弾もとんでこない戦争なんてあるもんか。地震は、やっぱり地震だよ。少しはまじめに対策を考えてくれよ」  高木が怒ったように言い返した。 「いや、待てよ……それ、あんがい、いい考えかもしらんぞ……」  むっくり起き上がって、稲垣がつぶやいた。 「……確かに、桜井の言う通り、これは心がまえの問題だ。ただの地震でも、戦争と同じに考えておけば、タマも爆弾もとんでこない分だけ、よほど安全だということになる。つまり、地震、怖《おそ》るるに足らず、というくらいの安心感ができるんじゃないのか?」 「うん、オレも、稲垣と同じ意見だ。このアパートの十二人が、いざという時に備えて軍隊式の訓練をしておけば、地震など、平気で切り抜けられるはずだよ。それに、兵隊の装備というのは、ひとりの人間が何日間か自力で生きのびられるものが全《すべ》てパックされているんだから、これを揃《そろ》えれば、それだけで下手な防災用品などより、よほど頼りになると思うよ」  ミリタリイ・マニアの根木は、そう言って、米軍の生存《サバイバル》キットの説明をはじめた。 「なるほど、そりゃいいや! ダサイ防災ズキンより、ヘルメットの方がカッコいいし、地震に備えての訓練だと思えば気も滅入《めい》るけど、戦争ゴッコならだんぜんヤル気が出るもんなあ!」  二年生の角田も目を輝かせる。 「よし、決まった。装備に関しては、根木にまかせる。それから訓練計画は、言い出しっぺの桜井を責任者にしよう。オレはいちおう、一番の年長者だから、部隊長ということでいいか?」  稲垣の意見に、全員が賛成し、その夜は、このアパートが軍艦なのか、それとも要塞なのか(つまり、海軍でいくのか、陸軍でいくのか)をめぐって、白熱の論議がとびかううちにふけていった。  ………… 「見ろよ、みんな! オレなんか、ついにモーゼル小銃を買ったぞ!」  恒例の土曜の夜の訓練時間、完全装備の根木は、自慢そうにモデルガンのライフルを振りかざして現われた。 「ふん、そっちはドイツ軍かよ。オレは、アメリカ軍だ」  野毛がM‐1カービンのモデルガンを肩から下ろす。  地震対策ではじまったこの防災訓練は、今や、完全にアパートぐるみのレクリエーションと化し、本格的な戦争ゴッコへと発展していた。  十二人がそれぞれに装備を競いあい、ついにはモデルガンや手榴弾《てりゆうだん》、コンバット・ナイフをぶら下げて現われる奴《やつ》まで出る始末だ。  しかし、少々行き過ぎがあるとは言え、ともかくも彼等の対地震作戦は完璧《かんぺき》だった。  なにしろ全員が、号令から三十秒以内に装備を整え、それぞれの持ち場につくことができるようになったのだ。  こうなれば、相当の地震が来ても大丈夫だ。  彼等の自信はいやが上にも高まり、ついには大地震を秘《ひそ》かに待望するところまできた。  せっかくの訓練がもったいない、というわけだ。  そして、幸か不幸か、ついに——その日は来た。  関東地方を、M七クラスの直下型地震が襲ったのは、十月の二十日、午前三時。 「敵襲! 敵襲!」  間髪《かんはつ》を入れずに、伝令の福田が大揺れをはじめたアパートの廊下を駆け回る。  と、次々に各室の扉が開き、ヘルメットに雑嚢《ざつのう》を背負った学生たちがとび出してきた。 「消火班、火薬庫へ下りろ! 指揮班はトーチカに集合!」  稲垣が、軍刀を握りしめて怒鳴っている。  火薬庫とは、プロパン・ガスのボンベがある炊事場のこと……トーチカとは、共同トイレわきにある大きなテーブルの下のことである。 「こいつはスゴイ! 敵も本気だ!」  階段から転げ落ちてきた野毛が、かっこうをつけて銃を構え直し、あたりをうかがいながら叫んだ。  これがもし、戦争スタイルでなかったら、階段もまともに下りられないような揺れで大パニックにおちいるところだが、その災害をなかば待ちかまえていた十二人は、むしろ生き生きと、アパート内の持ち場へと直行する。  と、その時、すべての照明が消えた。  天井からは、しっくいや、電燈の破片などがバラバラと降り注ぎはじめた。  しかし、ヘルメットに野戦服姿の彼等は平気だ。 「照明班! なにをしている、早くハンド・ライトを持ってくるんだ! 福田! 伊達《だて》! おまえら二人、外の様子を偵察してこい! 我々はあくまでも、この要塞にとどまって抗戦する。いいか、敵襲が終わるまで、絶対に持ち場を離れるな!」  稲垣が、倒れてきた下駄《げた》箱を片手で押さえながら叫んでいる。 「隊長! 敵戦車一台、こっちに突入してきます!」  玄関のドアのガラスをモデルガンの台尻《だいじり》で叩き割った伊達が、わめいた。  見れば、地面の亀裂《きれつ》にハンドルをとられたらしい小型車が一台、大きく蛇行《だこう》しながら、アパートの門めがけて突っ込んでくるところだ。 「くそったれ! そうはさせるかァ!」  福田が絶叫し、両手で構えたトンプソン機関銃を乱射しはじめた。  それに応《こた》えて、アパートのあちこちで、銃声が湧《わ》き起こる。  モデルガンだからもちろんタマはでない。しかし、地震に加え、突然の銃声を聞いてぎょうてんした小型車のドライバーは、そのままクルマごとブロックの門柱に叩きつけられた。 「敵機! 敵機、来襲!」  今度は炊事場の方角で叫び声が上がった。  と同時に、ガチャーン! というすさまじい破壊音。  裏のビルの看板が震動で壁からもぎとられ、このアパートを直撃したらしい。  アパート自体も、ぎしぎしと激しく軋《きし》み続けた末、ついに倒壊寸前の有様だ。 「どうした!? 負傷者はないか!」  すっかり戦場気分に浸っている桜井が、ねじ曲った柱の間を強引《ごういん》にすり抜けて裏口の方へ走る。 「火災発生! 消火班、火薬庫へ急げ!」 「敵兵! 敵兵が敷地内に侵入!」  命令や報告が、アパート内に交錯する。  どうやら、近所の人たちが、 アパート横の空き地に逃げ込んできたらしい。  しかし、福田と伊達が、モデルガンを連射して彼等を追い払っている。 「消火完了! 火薬庫から避難しろ!」  ひときわ甲高《かんたが》根木の声。  と同時に炊事場付近で大爆発が起こった。  プロパンのガス・ボンベがくずれてきた二階の下敷きになって破裂、引火したのだ。 「だいじょうぶか!? 全員、いったん、トーチカまで退却! 脱出準備!」  壊れた水洗トイレの水でぐしょ濡れになりながらも、稲垣が人員を確認する。 「十二名、揃いました。軽傷者二名、他、全員無事です!」  点呼を終えた桜井が報告する。  ようやく、激しかった揺れも収まりかけてきたようだ。  アパートは、修復不能なほど破壊されてしまったが、ともかくも彼等だけは生きのびたようだ。 「いいか、まだ警戒をおこたるなよ。敵の逆襲があるかもしれないからな」  余震に対する注意を与えながら、稲垣が全員を見渡した。 「しかし……これだけやられながら、みんな無事だったとは……まったく、桜井のおかげだなァ……」  野毛が興奮さめやらぬ口調でつぶやいた。 「どうだ、言った通りだろう。戦争のつもりなら、地震なんて大して怖くはない。この程度で終わりだもんな」  桜井が、はじけとんだ窓枠《まどわく》越しに見える町内の惨状に目をやりながら胸を張った。 「しかし、地震のつもりで地震にあった連中は怖かったろうなァ……あの様子じゃ、死者もだいぶ出てると思うぜ」  高木がうなずく。 「とにかく、オレたちはみんなカスリ傷程度で助かったんだし……しかも、面白かったなァ! 地震で遊んだのは、人類はじまって以来、オレたちが最初なんじゃないか?」  稲垣が言う。 「この方法、ほかの人にも教えておきゃあよかったなァ」  根木がくやしそうに言う。 「そうすりゃ、町中で、地震の度にお祭り騒ぎ……」  卵・玉子・たまご  駅前のスーパーで肉や野菜を仕入れ、大きな包みをかかえてバスに乗り込んだところで、卵を買い忘れているのに気付いた。 (しまった……)と思ったがすでに遅く、乗車扉はバタンと閉じ、バスは車体をゆすって動き出した後だ。  ここで降りるのなんのと言い出せば、運転手から不愉快な悪態ひとつも聞かされなくてはならない。  ぼくはあきらめてシートに腰を落とした。 (まあ、いいか……卵がなくても……)  遠ざかってゆくマーケットを見つめ、ぼくはひとり唇をとがらせた。  今日は、郷里のなつかしい親友が、二年ぶりにぼくを訪ねて来る。なにか、相談事もあるらしい。明日は、日曜。ぼくは一夜、鍋《なべ》でもつつきながら彼と語り明かすつもりで、その材料を買い出しに来たのだ。 (……しかし、やはり、卵なしのスキヤキというのは間が抜けているよなあ……)  バスにゆられながら、ぼくはぼんやりと、そう思い返した。  このあたりは新興住宅街なので、まだ生鮮品を扱う商店の数が少ない。  まとまった買い物をしようとすれば、どうしても、この駅前まで出てくる必要があった。 (家の近くに、どこかなかったっけなァ……卵を売っているお店……)  ぼくは必死でそれを思い出そうとするが、どうにも記憶にない。 (……えーと、卵……卵……)  考えているうちに、最寄《もよ》りのバス停がどんどん近付いてきた。 (そうだ、ひとつ手前で降りて、家まで遠回りして歩きながら、卵を売っていそうなところを探してみよう……)  ぼくはそう思いつき、あわてて降車ボタンを押して、バスを停《と》めた。  そして、ふだんはほとんど通ったことのない道を選んで歩き出した。  しかし、いくら見回しても、住宅ばかりで商店らしい構えの家はない。 (やっぱり、今日は卵なしか……)  ぼくはあきらめかけて、それでも念のため、もう一本奥まった道路をのぞいてみることにした。  それでもダメなら、このまま家へ帰るつもりで四つ辻《つじ》を曲る。  と、そこで偶然、ぼくはその卵売りを見つけたのだ。  彼は若い男だった。  道端にミカン箱を置き、その上にビニール袋に入った卵を並べて売っている。 (やあ! やっぱり探してみるもんだなァ)  ぼくは思わず小走りに、その粗末な露店へと駆け寄った。 「卵ちょうだい、いくら?」  ぼくがきくと、男はちょっと照れたような顔でぼくを見上げ、「えーと、十個で三百円、いや、百五十円でいいです」と、小さな声で答えた。  どうやら、まだ商売に慣れていない様子だ。学生のアルバイトかもしれない……などと思いつつ、ぼくはポケットから硬貨をつかみ出し、彼に渡した。  男はまた照れくさそうにそれを受け取り、卵が十個入ったビニール袋をぼくの手にのせた。  卵はどれも大きく、新鮮そうだった。  カラはきれいで、まるで洗って磨いたようにピカピカだ。 (スーパーで買うより、だいぶトクをしたかな……)  ぼくは思いがけぬ小さな幸運に頬《ほお》をゆるめ、友人を迎えるため、家路を急いだ。  その翌日——  ぼくは、昼過ぎに目をさました。  どうやら昨夜は、少々、飲みすぎてしまったらしい。こたつに足を突っ込んだまま雑魚寝《ざこね》した友人の方も、疲れが抜けない顔つきだ。  彼の相談事というのは、転職に関することで、ぼくと彼は、朝の四時近くまで、その問題について話し合った。  しかし、これといった解決策も出ないまま、二人とも酔っぱらって寝込んでしまったのだ。  痛む頭をかかえつつ、ぼくはコーヒーをいれた。  彼はそれを苦そうに飲んでから、「また、来るよ」と言って立ち上がった。 「どうせ日曜だから、ゆっくりしていけよ」とぼくは引きとめたが、「電車の時間があるから……」と彼は、帰っていった。  それから数時間、ぼくは、食事をとる元気もわかないまま、ぼんやりと寝そべって過ごした。  どうも気分が悪い。なにかが胸につかえている。  スキヤキの食べすぎか、宿酔《ふつかよ》いか…とも思うのだが、少しばかり、それとも違うようだ。  なんとも、妙な具合だ。……と思っているところに、急に吐き気がこみ上げてきた。 「ウッ……」  耐えきれず、ぼくはその場でノドを鳴らした。  と、ぼくの口から、なにか白いかたまりが吐き出されてきた。それは、こたつの上掛けの上にポトリと落ちた。  続いて、またひとつ……。  なんと、それは卵だった。 (そんな、バカな!)  ぼくは、我が目を疑った。  しかし、吐き出されてきたものを取り上げて、どういじくり回してみても、それは、やはり卵に見えた。 (……きのうの夜、酔っぱらって、カラのまま卵を飲みこんだりしたのだろうか?……いや、まさか……いくらなんでも……)  ぼくはすっかり度胆《どぎも》を抜かれて正座してしまった。  そこへまた、あの吐き気に似た感覚が襲ってきて、今度はたて続けに三個の卵が、ぼくの口から転がり出た。 (まさか……まさか……まさか……)  卵は全部で五個になった。  ぼくはうろたえ、まだこたつの上に出しっぱなしになっている昨夜の鍋の食べ残しを見回した。  乱雑に積み上げられた食器にまじって、四個分の卵のカラが見えた。  スキヤキをつつきながら、ぼくと友人は卵を二個ずつ器《うつわ》に割った。残りの六個は、そのままビニール袋に入っている。 (おかしいじゃないか……それとも、ぼくの吐き出したコレは卵じゃないのかな? もしかしたら、食べ物が胃の中で固まってしまったのかもしれないぞ……)  ぼくは、自分のノドから転がり出したそのすべすべした物体を、手近な食器の角に打ちつけてみた。  それは割れた。そして中から、透明なゼラチン質に包まれた黄身が、どろりと流れ出してきた。  ぼくは、ほかの四個を次々に割ってみた。  しかし、それは、どれもが、まぎれもない�たまご�だった。 (卵だ……玉子だ……たまごだ……)  ぼくは、ポカンと口を開けたまま、器の中に浮かぶ五つの黄身を見つめ続けた。 (あの卵売りが、おかしなものをぼくに売りつけたのかもしれない……)  そう疑い出したのは、大分たってからだ。  ぼくは急いで下駄をつっかけ、昨日の記憶を頼りに、卵売りがいたあたりを探し回った。  しかし、あの男の姿はどこにもない。  ぼくはとぼとぼと家にもどり、また器の中の卵を見つめた。  最初はとにかく、気味が悪かった。当然、すぐに捨ててしまうつもりでいた。  しかし、見つめるうちに、なんだか、それが惜しくなった。  なぜって、それは、どう見ても、ただの新鮮な卵の中身だったのだ。  そうするうちに、ぼくは、おなかが空《す》いてきた。  そこでぼくは、五個の卵をかきまぜて、オムレツを作ってみた。オムレツにしてみても、別におかしなところは少しもなかった。香ばしいにおいが、部屋中に広がった。  ぼくはたまらず、それを平らげた。  その夜、ぼくは、息苦しさで目を覚ました。布団《ふとん》の上で起き上がり、胸を押さえた。するとまた、ノドの奥から卵が転がり出た。  それは次々に口から吐き出された。  吐き出してしまうと、あとはサッパリした気分になった。  卵を数えてみると、全部で十二個あった。ぼくはそれを冷蔵庫にしまった。  それから、一週間が経った。  ぼくの冷蔵庫には、もう入りきらないほどの卵がつめ込まれていた。  それはすべて、ぼくが自分で�生んだ�卵だった。  一個食べると、それは必ず二個か三個、時には四個にもなって、ぼくのノドから転がり出た。  食べれば食べるほど、ぼくの�生む�卵の数も増えるのだ。  おかげで食費はかなり浮かすことができたけれど、これではたまらない。  そこでぼくは、週末になると、段ボール箱にその卵をつめ、遠くまで電車に乗って行商に出かけた。さすがに近所の人に売りつける勇気はなかったのだ。  しかし、電車賃をかけても、これはなかなかいいアルバイトになった。なにしろ、元手がいらないのだ。  ぼくはちょっとばかりぜいたくをして、新しい大型冷凍冷蔵庫を買った。  二か月ほどたったある日、あの郷里の友人から手紙が届いた。  それには、「ようやく転職の決心がつき、自宅で養鶏業を営むことにした。スタートは順調で、毎日、鶏卵の出荷で忙しい」といった意味のことが書いてあった。  ぼくは、友人の再出発が成功したことを喜びながらも、心の奥で、一抹《いちまつ》の不安を感じないではいられなかった。  なぜなら、はっきりと計算してみたわけではないが、この世界が、卵によって埋めつくされてしまう日が、そう遠いこととは思えなかったからだ。  サンタが家にやってくる 「信夫、サンタさんへの手紙は書いた?」  子供部屋をのぞいて、ママが言った。  クリスマス・イヴの二日前である。 「うん、ママ。もう、ちゃんと書いたよ」  信夫が答えた。  この家では、信夫が字を覚えてから、毎年、クリスマスになると、サンタクロースへの手紙を書かせることにしていた。  そこに、希望のプレゼントを書き込ませるのだ。  そして、それをママが受け取り、郵便局へ行くふりをして開封する。  両親はイヴまでにそれを買い求め、信夫が寝静まってから、そっと部屋に届けておく。  すると翌朝—— 「わあ、すごい! お願いした通りのプレゼントだ! やっぱり、サンタのおじさんってほんとにいるんだね」という、信夫のはしゃぎ回る声が聞こえてくるというわけだ。  パパとママは、信夫の子供らしい夢を守りながら、ついでに、手紙を書く練習にと考えて、この習慣を続けてきた。  しかし、信夫も来年からは小学生——  彼が、両親のカラクリに気付くのも、もうすぐだろう。  そのことを考えると、ママは、ちょっと寂しい気がした。  しかし、ことしは、まだ、大丈夫のようだ。 「そう! もう、お手紙書けたの。でも、分かってるわね? ていねいな言葉で、きちんとした字で書かなくちゃ、サンタさんはおへそを曲げて、信夫の本当に欲しいものを持ってきてくれないわよ。それに、あんまり無理なものをお願いするとサンタさん、怒っちゃって何も持ってきてくれなくなるのよ」  ママは念を押した。  これは、信夫が、子供に似合わない高価なものを希望した場合の伏線でもあるのだ。 「うん、だいじょうぶだよ、ママ。ぼく、ちゃあんと、お手紙書いたもの」 「それなら、いいわ。じゃあ、ママが出しにいってあげるから、手紙を早くちょうだい」  ママは、信夫に言う。 「ううん、ママ、ことしはいいんだよ。だって、ボク、もうお手紙出しちゃったんだもん」 「えっ!?」ママは驚いた。「だって、お手紙には、あて先を書いたり、切手を貼《は》ったりしなくちゃいけないのよ。ただポストに入れてもダメなのよ」 「うん、知ってるよ、ママ。ぼく住所も切手も、みんな、ちゃんとやったよ」 「だ、だって、信夫ちゃん、どうしてサンタクロースの住所が分かったの?」  少し慌てて、ママはきいた。 「ことしはね、幼稚園の先生が、それを教えてくれたの。だから、みんなで、サンタさんにお手紙を書いたんだよ」  信夫は、ニコニコしながら説明した。 (まあ、幼稚園の先生、余計なことをしてくれたわねェ……)  ママは、心の中で顔をしかめた。 (……この信夫は、本当にサンタさんの存在を信じてるから、先生のユーモアが分からなかったんだわ)  ママはうなずいて、信夫に言った。 「でもね。その手紙は、サンタさんに届かないかもしれないわよ。だから、もう一通、書いて、ママにちょうだいな。そうしたら、ママが今度は、ちゃんと……」 「だいじょうぶだってば。先生も、この住所へ手紙を出せば、ぜったいに、プレゼントが届くって言ってたもの」  信夫は頑固《がんこ》に言い張る。 「じゃあ、そのサンタさんの住所って、どこなの? ママに教えてちょうだいな」  少しイライラして、ママは言った。 「あれェ? だって、ママ、毎年手紙を出してくれてたんだから知ってるはずでしょ?」 「だから、信夫の書いた住所がまちがってないかどうか、確かめるのよ。もし、まちがってたら、もう一度出さなくちゃいけないでしょ?」 「うーん……」  信夫は考え込んだ。 「……ほんとは、大人に教えちゃいけないって言われたんだけどなァ……しかたがないや。でも、これは、絶対にまちがってないよ! 先生に教えてもらった通りだもの」  信夫は言って、紙切れに、たどたどしい字で文字をつづりはじめた。 「ここだよ、ママ。ぼくが手紙を出したのは」  …………  その晩、パパとママは、その紙切れをながめながら相談した。 「まあ、先生は、気のきいた冗談のつもりで教えたんだろうが、信夫の欲しがってるものが分からないのは困るなあ」とパパ。 「ことしは、しかたがないわよ。先生がウソをついてるなんて言ったら、あの子の夢をこわしちゃうし、第一、教育上良くないわ。あなた、何か、適当なプレゼントを選んでおいて」 「それで、ごまかすしかないか……しかし、北極県、アザラ市とは、よく言うよ」  パパは溜息《ためいき》をついた。  …………  そして、クリスマスの朝が来た。 「わーい、わーい! ことしは、プレゼントがふたつもきちゃったぞ!」  大喜びでとび出してきたのは信夫である。 「ええっ!? いったい、どうしたっていうの?」  ママは驚いた。 「ほら、こっちは、ぼくが手紙で頼んだラジコン・カー……もうひとつは、頼んだんじゃないけど、動物絵本セット。きっと、こっちは、サンタさんのおまけだね」  自慢そうに信夫は、プレゼントを両手にかかえて、飛び回る。  しかし、パパが買ってきたのは、その�もうひとつ�の方で、ラジコン・カーは心当りがない。 (おまえか?)  目顔でパパが、ママにきいた。 (ちがうわよ!)  ママも目顔でパパに答えた。  結局、その事件は、パパとママの間で謎《なぞ》のままウヤムヤになってしまった。  確かに奇妙なことだが、信夫のうれしそうな顔を見ると、どうしても本当のことが言えなかったのだ。  ところが——  同じことが、また次の年も起こった。  そして、また次の年も…… 「信夫ちゃん、ほんとに、サンタクロースに手紙を出したのね? そうしたら、書いた通りのものが届いたのね!?」  ママは、きつい目つきで信夫をにらみつけ問い質《ただ》した。 「そうだよ、ママ。当り前じゃないか。それを最初に教えてくれたのは、ママでしょう?」  信夫は不思議そうにママを見た。  その手には、今年のプレゼントである大型宇宙船のプラモデルがしっかりと握られていた。  その目を見れば、信夫がこれっぽっちも嘘《うそ》をついていないのは明らかだった。  パパとママは、すっかり考え込んでしまった。  そして、また、一年後——  次のクリスマスまで、あと四日。その夜、パパとママは、真剣な表情で向かいあっていた。 「……あたし、やってみるべきだと思うわ」  ママが言った。 「そうだなあ……とにかく、信夫のところに毎年プレゼントが届くのは、まちがいない事実なんだから……」  パパは腕組みした。 「そうよ、あなた。もし届かなくたって、もともとじゃない。あたし、ことしこそ、サンタクロースに手紙を出してみる!」  ママは、決心したようだ。 「まあ、これが、何かのイタズラだったとしたら、それを確かめるために手紙を出してみたんだとかなんとか、言い訳すればいいし……よし、我々もサンタにお願いしてみるか!」  パパは、便箋《びんせん》と封筒、それに万年筆を持ってきた。 「あなた、何を頼むの?」 「そうだなあ……あんまり、高価なものも悪いような気がするけど、十万円くらいなら、いいかな?」 「そうね、そのくらいにしておきましょ。もし、本当にプレゼントが届いたら、来年から少しずつ、高いものにしていけば、いいし……あたし、前から欲しかった九万八千円のフランス製ハンドバッグにするわ」 「よし! それじゃあ、おれは、六万円のイタリア製ブーツにしよう!」  二人はそれぞれに、欲張ったことを言いあいながら、サンタクロースへのお願いを便箋に書き込み、そして封筒の表に、北極県アザラ市ペンギン町字シロクマと住所をしたためた。  …………  そして、待ちに待ったクリスマスの朝がきた。  パパとママは、例年のように、大喜びではしゃぎ回る信夫の声で目を覚ました。 「わーい、わーい、ことしも、ちゃんと、サンタさんが持ってきてくれた!」  それを聞いて、二人も大あわてで、自分たちの枕元《まくらもと》を見た。  すると! あるではないか。  ママのところには、しゃれたハンドバッグ。  パパのところには、渋い紳士用ブーツがきちんと置いてある。 「やったぞ、おまえ! サンタクロースは、やっぱり実在したんだ!」 「よ、よかったわ、あなた! 来年は、もっと高価なものを、たくさん頼みましょうね」  二人は抱き合って、うれし涙を流した。  その日は、言うまでもなく二十五日——  クリスマスであると同時に、パパの給料日でもある。  つまり、二重の喜びの日。  パパは元気はつらつ、さっそうと出勤していった。  会社に着くと、すでに机の上には、給与の明細書が配られていた。  パパはにこにこしながら、その封を切った。書いてある数字を見る。 (あれ、おかしいぞ……)  パパは眉《まゆ》をひそめた。  いつもより、二十万近く、低い金額だ。  年末は、調整給や何かがあるので、少しは変動があると思っていたが、この金額は、いくらなんでも少な過ぎる。  パパは慌てて、給与明細の内訳を確かめてみた。  すると、調整給という欄が、マイナス十七万円になっている。 (とは、査定のことだろうか? 別にミスをやった覚えもないし、こんなに減額される理由はない。きっと、コンピューターのまちがいだ!)  パパは憤然と席を立って、経理部へ向かった。  そして担当者に、明細書を突きつけた。 「きみ、これ、おかしいんじゃないか!? 調べてみてくれよ。どうして、給料がこんなに減額されなきゃならないんだ!」  担当の女子事務員は、明細書をのぞきこんだ。 「あ、でも、の天引きがありますから……」 「そのことを言ってるんだよ。どうして、わたしの査定がこうなるんだい!?」 「あら、って査定の欄じゃありませんことよ」  事務員は笑いながら答えた。 「年末の特別天引きで、サンタクロース通信販売の略号ですもの。お宅のお子さん、今までも、このを利用なすってましたよ」 「サ、サンタクロース通信販売!?」 「ええ、そうですよ。でも、十七万円なんて、ずいぶん、欲張っちゃったんですねェ、お宅のお子さん……」  CATV猫ちゃん放送局 「フミャーッ!」  猫《ねこ》のグルが、俺《おれ》の足元で抗議の鳴き声を上げた。 「えっ!! あ、そうか」  俺はあわててテレビに手をのばし、チャンネルを合わせる。  時計はちょうど八時。猫専門のテレビ番組を流すCATVの放送が開始になるところだ。  グルはひょいとダイニング・テーブルの上にとびのり、テレビの前で背中を丸めた。 「ニャーン、ニャン、ニャン、ニャン! ゴロゴロ、ニャア?」  アナウンサーの猫なで声、そして、グルお気に入りのアニメ・シリーズがはじまった。  俺もしばらくグルにつきあって、その画面をながめる。  スタジオ〈にゅえ〉が制作している連続物だ。  グルはもうノドを鳴らしながら、満足気にそれに見入っていた。  しかし、猫専用の番組だから、人間の俺が見ても、よく分からないところが多かった。 「ふーん」  俺は肩をすくめ、モーニング・コーヒーの残りを飲み干してから立ち上がった。 「じゃあ、グル、行ってくるよ。おとなしくしてるんだよ」  言いながらコートをはおり、ダイニングを出た。テレビはつけっぱなしにしておく。  俺が帰宅するまで半日余り、猫のグルは、その放送を楽しんで過ごすことだろう。  俺は豪華なマンションの扉を閉め、駐車場に向かった。そこに置いてある高級スポーツカーで出社するのだ。  考えてみれば、このマンションも、スポーツカーも、みんな、グルのおかげで手に入れたようなものだ。  そのことを思うと、俺はまた複雑な心境になった。 (今日は十時から新しいコマーシャルに関する企画会議……三時からは来期クライアントとのパーティ……)  俺は、今日の予定を頭の中で確認しながら、スポーツカーをスタートさせた。  ほんの数年前まで、俺は、あるテレビ局の平社員だった。担当は番組編成。  ところが、俺の受け持ちだった昼の二時台のホーム・ドラマに、どうしてもスポンサーがつかない。視聴率はまあまあなのだが、番組内容にちょうど適合する広告主が見つからないのだ。  会議を繰り返しても、なかなか、いい知恵が出ない。あわや、番組打ち切りか、というところで、突然、俺は思いついた。  その頃《ころ》から俺は自宅で猫を飼っていたのだが、休みの日にぼんやりと猫を観察していると、猫というのは明らかにテレビ番組に対して好き嫌《きら》いを持っているのだ。  俺の家のグルに関して言えば、ホーム・ドラマとアニメが、ことの外お気に入りのようだ。  しかし、全部というわけではなく、はっきりした基準があり、好きな番組の途中でチャンネルを変えようとしたりすると、本気になって怒り出すことがある。  俺は興味を持って、猫好きの友人にそのことを尋ねてみたが、どうやら猫受けする番組というのは共通らしい。  ホーム・ドラマならお茶の間中心に展開するもの、アニメならメルヘン・タッチが、どうやら家猫にアピールする番組なのだ。  中でも、ストーリー性のないものは、猫に敬遠される。  そして、スポンサーがつかずに困っていた俺の担当ドラマは、我が家のグルの大好物番組のひとつだったのである。  それを思い出して、俺は恐る恐る進言した。 「どうでしょう、部長。この番組、キャット・フードのスポンサーをつけてみたら……」  理由の説明を求められて、俺は困った。  しかし意を決して、それを喋《しやべ》った。 「……つまり、愛猫《あいびよう》がいっしょにテレビを見ていれば、広告の訴求効果も高いというわけで……」  最初は全員が大笑いした。  だが、他に名案もなく、とにかく猫の好きな番組を調査してみようということになった。  結果は、俺の思った通り……他の家でも、なぜか、その番組を猫が良く見ているということがわかった。  そして、半信半疑のままついたスポンサーのキャット・フード・メーカーは、四か月でシェアを三十パーセント以上のばした。  こうなると、俺はたちまち英雄扱い。  昔は、�猫が見てても、視聴率�などとバカにされた猫族は、一躍、視聴者(?)のひとり(!?)に数えられるようになった。  それと同時に、家の中で人間といっしょに暮らすペット達の意識調査もより詳しく進められ、キャット・フード以外の猫関連業種、つまり一般食料品、家具や寝具、はては玩具《がんぐ》などの分野に対するアプローチも研究されはじめた。  そして、それが番組編成上の、重要な要素のひとつとまで考えられるようになってきたのである。  しかし、ここには、やはり無理があった。  猫の好みが、いかに飼い主を動かし得ると言っても、それはやはり間接的なものであり、視聴者の主体は、あくまでも人間だった。  つまり、猫の意識をベースにどれだけ猫受けする番組を作っても、チャンネルを選ぶ人間に受けなくてはどうしようもない。いくら頭の良い猫でも、自分でスイッチを入れることはできないのだ。  俺は、猫番組の先覚者として、いち早くそのことに気付いた。  しかも、猫関連業種といっても、そうそう幅が広いわけではない。いつかは、広告主も頭打ちになる。  それに、こんな番組作りを続けていては、遠からず、一般の人間視聴者から文句が殺到しはじめるにちがいない。なにしろ、文句が言えるのも、これまた人間だけの特権なのだ。  そこで俺は、決意した。  人間向けのテレビ放送に猫用の番組を織り込むのではなく、猫専用のテレビ局を開設してはどうか……それが、俺の次なるアイデアだったのである。  その頃には、猫意識の専門家や、猫受けする番組制作者も、少数ながら各局内で育ちはじめていた。  俺は彼等をひっこぬき、郵政省の実力者を口説いて代表に据《す》えると、会社設立を目指して独立した。俺は専務に収まった。  そうして生まれたのが、CATVである。  ここでは、朝の八時から、午後の六時まで、猫専用の番組を流している。  アニメとドラマが半々ずつ、それにコマーシャルだ。  猫は色彩を見分けることができないから、放送は、皆モノクロだ。  反響は上々だった。  最近は、マンションなどに猫を閉じこめたまま飼っている愛猫家が多い。  そのため欲求不満気味の猫族が急増していたのだが、CATVが、その解消に大きな効果を上げたのだ。  思わぬところでは、白黒テレビの需要が復活し、我が社は大手家電メーカーから、多額の援助を受けられるようになった。  まだまだ会社の規模は小さいが、経営は順調だ。  視聴世帯も、間もなく全国ネットで百万を越えそうだ。  ……などと考えている内に、スポーツカーは、社屋の表玄関に滑り込んだ。  秘書たちに迎えられて、車を下りる。 「専務、会議場に、担当者全員が集まっております」  秘書のひとりが言った。 「今日は、カナボウ化粧品のCFに関する企画会議だったね?」  俺は、差し出された書類を受けとると歩き出した。 「その通りです、専務。猫マーシャル・プランナーの石山君が、素晴らしいアイデアを持ってきたとか、で。これを見せれば、どんな猫でも、カナボウと競合しているゴセイ堂の化粧品が嫌《きら》いになること受けあい、とスポンサーも大喜びしているそうです」 「そうか、それは楽しみだ。しかし、この頃の猫マーシャルは、すっかり特殊化してしまって、この俺が見ても、全然意味がわからないからなあ」  俺は苦笑した。 「でも、専務、そこがつけ目なんじゃありませんか」  秘書はニヤリと笑いながら言った。 「だから、どんな悪どいコマーシャルを流しても、一般の消費者にはバレないんですよ。ただ、ある日、自分の飼い猫が、ある商品に対して非常な興味を示したり、大変な嫌悪《けんお》を抱いたりする、そこではじめて効果が確認できるわけです。愛猫家なら誰でも、自分のペットが見向きもしない、それどころか敵意をむきだしにするような商品を家に置いたりはしませんからね」 「まあ、それはそうだ。だからこそ、広告媒体としての我が社の存在価値もあるというわけだが……」  俺は歩きながら、つぶやいた。 「……しかしなあ、どうも、こういうやり方には、最近、疑問を感じるようになってきたんだ。猫の意識に訴えかけて、飼い主の消費者を操作するようなやり方は、どこか、おかしいんじゃないか、と……」 「なあに、考えすぎですよ、専務!」  秘書は、俺の迷いを笑いとばした。 「テレビのコマーシャルなんて、昔から、みんな同じようなものだったじゃありませんか。男に何かを買わせたかったら、女に訴えかけろ。大人に何かを買わせたかったら子供に訴えろ。それが猫に変わっただけじゃないですか」 「そうは、俺も思っているんだが……」 「それより、専務。次の我が社の躍進は、愛犬放送《D・O・G・B》の実現にかかっています。そちらの推進に、これまで以上|頑張《がんば》っていただかなくては」  秘書はきっぱりと言って、会議室の扉を押した。  超時限爆弾《スーパー・タイム・ボム》  それを最初に発見したのは、国連本部ビルの周囲を早朝パトロールしていた二人の警備員だった。  彼等は、各国国旗を掲揚するポールがずらりと並ぶ正面広場を通りかかった時、その奇妙な物体に気付いてキモを冷やした。  それは、二本の角《つの》のような突起を持つ、直径一メートルほどの球体だった。  場所が場所だけに、二人は即座に爆弾を想像し、警察に急報。すぐあたりには非常線が張られ、軍隊から専門の処理班も出動してきた。  決死の覚悟で物体に近付く兵隊たち——  遠巻きにした人々は、かたずをのんで、その光景を見守った。  ところが、そんな人々の緊張は、処理班員のひとりが張り上げたすっとんきょうな叫び声によって破られた。 「な、なに——? タイムマシンだと!?」  なんと、朝日を浴びて輝くその物体の表面には、   TIME-MACHINE FROM 2248  なる文字が、奇妙な書体で刻まれてあったのである。 「いや、これは時限爆弾《タイム・ボム》の意味かもしれぬ」  隊長の判断で、処理班はなおも慎重に、物体の検査を進めていった。  だが、どこをどう調べても、およそ爆発物らしい反応は得られない。  彼等はついにしびれを切らし、思い切って二本の角のうちの一本を取りはずしてみることにした。  それは意外にあっさりと抜け落ちた。  と、その途端!  物体の内部から、いきなり朗々たる声が響き渡ったのである。 〈……二十世紀、人類の皆さん! 私たちは、あなた方の三世紀後の子孫として、この輝かしい科学文明の成果をあなた方へ送り届けることができるのを誇りに思います。  これは未来からのメッセージ、二十三世紀に生きる私たちからのメッセージです。  ……私たちがなぜ、二十世紀を選んでこれを送り出したか、それにはふたつの理由があります。  ひとつは、十九世紀以前であれば、人々が�タイムマシン�の意味を理解できないだろうし、また、二十一世紀以降なら、この発明がさほど驚くべきことではなく、予想し得るものになってしまっているからなのです。そしてもうひとつ、重大な理由があります。  ……今後、二十世紀末に向かって、あなた方は、人類史上最悪とも言える苦難の時代を迎えなくてはなりません。あなた方は絶望し、未来を信じられなくなるでしょう。  ですが、それはほんの一時期にしか過ぎません。私たちはそのことを皆さんに伝え、力づけたいのです。  そう、未来は輝いています。今、私たちは、平和と希望と活力に満ちあふれる世界で暮らしています。  そしてついに、人類の夢タイムマシンを完成し、第一号機を、皆さんの世界へと発進させたのです……〉  それを聞いた誰もが、驚きのあまり我を忘れた。  全く、思いもかけぬ事態である。  だが、この物体がトリック爆弾かもしれないという疑いもあり、処理班の隊長は、さらにもう一本の角も抜き取ってみた方がいい、と主張した。  人々はなおも遠巻きにしたまま、成り行きに目をこらした。  そして、二本目の角が、隊員の手で引き抜かれた。  その瞬間、物体はパカンと音をたててふたつに割れ、なかから、一冊の部厚い書物のようなものが転がり出てきた。  その表紙には—— ≪HISTORYOFTHEWORLD≫  の金文字が、さん然と輝いているではないか。  異様なほどの興奮が、その現場を震源地として全世界に広がっていった。  もはや、そのことを秘密にしておくことなど不可能だった。  そこで世界の首脳たちは、ニュースを包み隠さず公表するという約束を交わし合い、その物体と書物を超一流の学者や技術者からなる研究チームに託したのだった。  タイムマシン本体と取り組んだ一団の発表は、意外と簡単なものだった。  というのも、その物体の内部は、作動中に発生したと思われる高熱のために灼《や》けこげており、しかも最重要部と思われるあたりは完全に溶解し破壊されてしまっていたからだ。  つまり、彼等は、タイムマシンに関しては研究不能という結論を出さざるを得なかったのだ。  これは事故によるものかもしれなかったが、恐らく未来人が、将来の科学技術を過去へ持ち込まないために、わざとそうなるよう設計したのであろう、というのが大方の学者たちの意見だった。  一方、無傷で残された≪HISTORYOFTHEWORLD≫なる書物は、すぐ各国語に翻訳され、全世界に行き渡っていった。  その二十世紀に至るまでの記述は、現代人にとってもおなじみの世界史がなぞられているだけで、とりたててめずらしいものではなかった。  問題はそれ以降、二十三世紀へ至る(二十世紀人にとっての)未来史の部分だった。  そこにはおよそ、次のような内容が語られていた。 〈……二十世紀末、エネルギー問題、人口爆発、公害による汚染はますます深刻化……とくに、人類の悲願〈核融合〉はなかなか実現せず、しかも原子力発電のシステムに致命的な欠陥が見つかり、各国で事故が多発……ついに人類は、原子力を見すてるが、その頃すでに石油、石炭などの在来エネルギーも底をつきかけ、世界中で大小の紛争が持ちあがる……〉  と、まずは、タイムマシンが予告した通りの暗い時代が描かれている。 〈……ところが、二十一世紀初頭、日本の天才科学者サブロー・オータニが、太陽熱を九十九パーセント純粋なエネルギーに変換する装置を発明……人類の救世主とも言えるオータニ博士は、その発明を全世界に公開……これによって世界はエネルギー問題から解放され、調和と繁栄の未来が人類の前に広がった……〉 〈……シベリア大開発に成功したソ連は、国内を完全に安定させ、この自信で世界に扉を開いた……またアメリカ等西欧諸国も、根深いインフレ経済を克服して本格的高度成長時代に入った……そして、アメリカにかわって世界一の農業大国となった中国を加えて、この三大勢力は手を結びあい、やがて世界連邦が設立され……人類は火星に、木星に、そして外宇宙へと……〉  まさにバラ色の、万々歳の未来図が、そこには展開されていたのである。  人々は熱狂した。  そして、その世界史を熱烈に信頼した。  なかには、タイムマシンなど、どう考えても不可能だ、未来史の内容も話がうますぎる……といった懐疑論を発表する人間もいたが、それらは全世界の人々の熱狂の声にかき消されていった。  まず、石油の価格が暴落した。  そして、世界中の原子力発電所が運転を中止した。  もはや省エネルギーなど考える必要はない。  すべての資源を使い果たしても、どうせ二十一世紀になれば世界は新時代に突入するのだ。誰《だれ》もが、そう信じた。  日本では、オータニ姓の家族が、誰かれなくもてはやされた。  全ての女性が、オータニという名の男と結婚したがり、全ての男性はオータニ家に婿入りしようと願った。  そして生まれた男の子は、皆、サブローと名付けられ、適性など関係なく、理科系の大学に押し込まれた。  なにしろ、その中に、人類の救世主がひとりいるはずなのだ。  こんなことをしていては、未来の歴史が変わってしまう、と真剣に心配する声もあったが、誰もがそれを無視し、人々はただ未来だけを信じてメチャクチャな生活に走った。  そうでなくとも少なかった地球の資源は、みるみる使いつくされていった。  二十一世紀に入る頃、世界は飢えと貧困に覆われ、人々の生活は原始時代並みにまで落ちぶれてしまっていた。  それでも人類には希望があった。 「あと少し、あと少し待つだけだ」  それが全人類の合言葉になっていた。  しかし、二〇五〇年が過ぎ、二〇八〇年が過ぎても、オータニ・サブローは出現しなかった。  いや、その頃日本は、オータニ・サブローという名の科学者で埋めつくされていた。だが、そのほとんどは、ただの、どうしようもない人間ばかりだったのだ。  二〇九〇年……二〇九五年……二〇九九年……そして、時代はそのまま二十二世紀へと移行した。  人々はようやく、あのタイムマシンのお告げが、実は全くデタラメだったのではないか、と考えはじめた。  しかし、すでに遅かった。  人類は「もう少し……あと少し……」とつぶやきながら、滅亡した。  最後まで優遇され、すっかり退化したオータニ・サブロー一族だけを残して……  …………  ………… 「いや、まったく、これは全て、我らが同志ピピルカン・ドクスの功績じゃわい」  人類文明が消滅して、すっかり美しさを回復した地球に上陸したヒンドラピピ星人の将軍アジタンピピ・ファンジは、満面に(彼等なりの)笑みを浮かべて触手を打ち振った。 「恐れ入ります、将軍」  頭を下げて進み出たのはドクスだ。 「なにしろ、武力で他の惑星を占領してはならぬというのが銀河連盟の掟《おきて》。そこで苦肉の策として、あのタイムマシン計画を思いついたわけですが……」 「いや、素晴らしい。おかげで我等は、触手一本動かさずに、この保養星を手に入れることができた。皇帝もきっとお喜びになるだろう」 「それにしても、この星の住民たち、これほど簡単に引っかかるとは思ってもおりませんでした。私めの地球語研究がお役に立ち、こんなうれしいことはありません」  ピピルカン・ドクスもにっこりとくちばしをゆるめる。 「あの書物は、全く、おまえの手柄よのう。だが、あんなガラクタの寄せ集めを本気で信じ込むのだから、なんとも、おめでたい奴等《やつら》よ。最初は時限爆弾か何かと勘違いして騒いでいたようだが」  と、将軍。 「そうでした。あれから地球人の単位で約百二十年……考えてみれば、ずいぶんと時間のかかる爆弾だったわけで……」  なんとなく、エイリアン  |G《*》ベッドに寝たまま、手を伸ばして横のスキャナーをつけてみる。|コ《*》ールド・スリープから目覚めたばかりなので、星図を読むのも、なんとなく億劫《おつくう》な気がしてしまう。  それで、全方位視界にセットしてあるヴィジスクリーンのボタンを押してみる。  減速を開始しているとはいえ、まだ|亜《*》光速で航行中だから、ドップラー効果による赤方偏移によって、スペース・シップの周囲には美しい|ス《*》ター・ボウ(星虹《ほしにじ》)がかかっていた。  それをしばらく眺めてから、俺はタンデム配置の後部座席にいる航宙士《ナビゲーター*》ミチに声をかけた。 「どうだ、目標《ターゲツト》まで、あと、どの位かかる?」 「ジー、ジジジ……」  サイボーグのミチは、|バ《*》イオニクスの見事な成果といえる頭部から軽い電子音を洩《も》らし、ナノセカンドの間、考え込んだ。 「……船内時間で、一時間と二十八分十八秒といったところかしら」  ミチが答えた。 �彼�はもとはレッキとした男だったのだが、|サ《*》イボーグ化される時に性転換を希望し、現在は、姿はもちろんのこと、声まで、すっかり女性化している。  それも、実は当然のことで、ミチは、サイボーグとは言っても、生体から受け継いでいるのは脳の一部だけで、それを除けば、完全な|ア《*》ンドロイドと変わらない。  だから、俺も、それほど悩むことなしに、ミチを|セ《*》クサロイドとして利用させてもらっているわけだ。  目標到達まで、あと一時間以上——それまでは、別にすることもないから、俺は振り返って、目顔でミチを誘った。 「……まあ、……|ハ《*》ルカったら……」  ミチは、完璧にチューンされた腰のあたりの人工筋肉をよじらせて、微《かす》かに唇を突き出した。しかし、それ以上拒否する様子もなく、黙ってGシートから立ち上がった。  俺たちは、もつれあいながら、船内後部の無《*》重力室に入り込み、そこでスペース・スーツを脱ぎすてた。  長いコールド・スリープから醒《さ》めたばかりで、全身にはまだけだるさが残っている。しかし、体力の方は充分だ。  俺とミチは、空間をただよいながら、アクロバチックにからみあい、汗の水滴をあたりに振りまきながら一戦を終えた。  身体ばかりか、気分までが、それで軽くなる。  スペース・スーツにもぐり込みながら、息を整えていると、船の�|マ《*》ザー�が、優しく俺たちに呼びかけてきた。 「……減速は終了……目標《ターゲツト》の周囲軌道にアプローチ中よ。そろそろ準備して……」 「よし!」  俺は壁をポンと蹴《け》って、船橋《ブリツジ》に通じるハッチへと一直線に飛んだ。 「いよいよね、ハルカ……」  ミチも、久しぶりの本格的な仕事《ジヨブ》に、弾《は》んだ声を出す。 「そうだとも、ミチ。いっちょう、派手に暴れてやるか」  船橋《ブリツジ》に備えつけてあるウェポン・トランクをあけ、どでかいブ《*》ラスターを掴《つか》み出した俺は、それを腰のホルスターにぶちこんだ。  コンバット・ヘルメットをかぶり終えた俺とミチは、ヴィジスクリーンに映し出されている目標の惑星を一瞥《いちべつ》してから、上陸艇に通じるハッチを持ち上げた。 「さあ、いこう!」  俺とミチは、相次いで上陸艇のコクピットに滑り込む。  すぐさま、俺が、|イ《*》オン・ロケットのブースターに点火した。  艇はすさまじい加速で母船を離れ、一気に、地表めがけて降下していく。 「状況は分かっているな、ミチ」  俺は、自分自身の確認の意味も含めて、今回の任務《ミツシヨン》の内容を復唱した。 「敵は、我が銀《*》河連盟に属する植《*》民星デルノバ侵略をもくろむ|イ《*》ンベーダーだ。彼等は、|ブ《*》ラックホールを使う|ウ《*》ォープ航法で、はるかアウター・スペースから、この宙域に侵入してきたらしい。デルノバに入植しているガバランティア人からの報告によれば、敵は、|こ《*》の世のものとは思えぬ奇怪な姿をしているそうだ。彼等はグオゾ族と名乗る生物で、武器は比較的原始的なものしか持っていないが、とにかく、野蛮で、凶暴……ガバランティア人は、現在、グオゾの先遣隊と交戦中だが、本隊が到着すれば、とても勝ち目はない。そこで、我々、銀河連盟の宇宙パトロール隊に救援を求めてきた、というわけだ……」 「ええ。そのグオゾ人とやらが、どんな|ベ《*》ムかは知らないけど、あたしたち二人で徹底的に思い知らせてやるわ。二度と邪悪な侵略など思いつけないようにね!」  ミチが、可愛らしい顔に似合わぬ闘志を見せて、刻々と接近してくるデルノバの地表をにらみつけた。  それから約半時間後——  俺とミチは、デルノバの赤道面に近い大陸の中部で、激戦を繰り拡げているふたつの軍隊を発見し、そのまん中に強行着陸した。  見れば、一方は、白い体毛に覆われた猫のような生物の軍団。そしてもう一方は、まったくもっておぞましい青黒いウロコをテラテラと光らせたゴキブリに似た節足生物だ。 「まあ、ハルカ! なんて、邪《*》悪なエイリアンかしら。あんな奴等、一匹だって、この美しい宇宙に住まわしてはおけないわ!」  一声、叫んで、ミチがビーム砲のトリガーを引きしぼる。  もちろん、俺の思いも同じた。  上陸艇に備えつけてある小《*》型陽子ミサイルを、そのゴキブリ軍団めがけて次々に発射する。  戦いは、あっさり、あっけなく終わった。  ゴキブリ生物の陣地は、跡形もなく破壊され、青黒いウロコの兵士たちの姿も、もはや大地と見分けがつかないくらいに灼《や》きつくされていた。 「さあ、ミチ、引き上げだ。英雄にまつりあげられ、歓迎ぜめにあっては、たまらないからな」  俺はほっと肩の力を抜き、コクピットから頭だけ突き出すと、まだ呆気《あつけ》にとられたまま、俺たち救世主を遠巻きにしている白猫星人に、ちょっと片手をあげてあいさつした。 「さあ、もう心配はない。これからも、侵略者が現われたら、すぐ俺たち宇宙パトロールに連絡するんだぜ。いや、いや、感謝の気持ちは、連盟の方へ届けてくれ。俺たちはただのパトロール員だ。正義のために働くのが、俺たちの仕事なんだからな」  それだけ言って、俺は上陸艇を母船へ向けて発進させた。 「いい仕事《ジヨブ》をした後は、ほんと、気持ちがいいわねえ……」  隣のシートで、ミチが満足のつぶやきを洩《も》らした。  しかし——  母船にもどった俺たちを待っていたのは、�マザー�のヒステリックな罵声《ばせい》だった。 「あなたたち、またやったわね!! よく確かめもしないで、味方の軍隊を全滅させてしまって、いったい、どういうつもり!?」 「えっ? そんなバカな。だって、敵のグオゾ族は、�この世のものとも思えぬ奇怪な姿�だと……」 「それは、ガバランティア人から見ての印象に過ぎないわ。あなたたち地球人は、いつになったら、この宇宙の相《*》対的な認識を体得することができるの!?」  マザーのお説教は続いている。 「�宇《*》宙は、銀河系の規模にまで拡大された地球ではない�か……」  俺は、訓練兵時代に叩き込まれた、連盟の地球人向け十戒のひとつを、うなだれたまま、つぶやいた。 「……しかしなあ……なんで、俺たちが、あんなゴキブリを助けなくちゃならないんだい……」 「ハルカ!! あたしの言うことを、ちゃんと聞きなさい!」  俺のつぶやきを聞きとがめて、マザーが声を張り上げた。 「ただ、|な《*》んとなく、エイリアンを好き嫌《きら》いしているようじゃ、いつまでたっても、辺境パトロールよ!」  マザーの言う通りだった。  ただ、なんとなく全滅させられた数々の異星人たちのことを思って、俺は、ちょっとばかり複雑な気持ちでミチと顔を見合わせた。  NOTES     *●Gベッド 加速度から乗員を守るための装置ですが、亜光速から一気に減速するこの宇宙船のような場合、どのような構造なのか、想像もできません。     *●コールド・スリープ 冷凍睡眠。映画「エイリアン」に出てきた、あれです。     *●亜光速 アインシュタインという人が、物体は光速を超えられない、と言い出してから、宇宙旅行は急に不自由になりました。     *●スター・ボウ(星虹) 光速に近い速度で航行すると、ドップラー効果によるナントカカントカで、こういうものが見えるのだそうです。     *●佐藤道明のことではありません。     *●バイオニクス 生体工学。ここから、ウィーナーのサイバネティクスが生まれました。     *●サイボーグ さらに、そこから生まれた人間と機械の組み合わせ。     *●アンドロイド 人間と似た外観を持つロボットを、ふつう、こう呼びます。鉄腕アトムが、ロボットか、アンドロイドかは、議論の分かれるところ。     *●セクサロイド アンドロイドが人間そっくりだと、当然、こういうことが起こります。     *●高千穂遥とは関係ありません。     *●無重力室 どういう構造なのかは分かりませんが、こういう場所で、こういうことをすると、とても楽しいそうです。スペース・シャトルも、その実験を計画中。     *●マザー マザー・コンピューターのことです。その呼び名からか、どうも、女性的性格を付与されることが多いようです。     *●ブラスター ご存知、熱線銃ですね。実現不能(もしくは、実現不用)と言われていますが、どうも、こいつがないと格好がつきません。     *●イオン・ロケットのブースター ブースターとは増幅器のこと。名前からしてスピードが出そうなので、よく使われます。     *●銀河連盟 いったい、どんなものなのか、空想もできません。     *●植民星デルノバ ガニノバでも、グルノバでも、デバガメでもいいのですが。     *●インベーダー こいつを全滅させることができた人は、一人もいません。     *●ブラックホール どんなものでも吸い込む性質のため、ヒワイに想像されがち。しかし、ホワイトホールといっしょにして、五目並べをしようとした人もいます。(ヨコジュン)     *●ウォープ 映画「スター・トレック」が公開されるまで、ワープと呼ばれていました。アシモフがアジモフに、ヴォクトがヴォートになったり、SF界ではよく起こる現象です。     *●この世のものとも思えぬ奇怪な姿 言語を絶する邪悪さ、とか、死よりもなお耐えがたい恐怖、筆舌につくせぬ異様さ、などと同じで、説明が面倒な時使います。     *●ベム 本来は大目玉の(昆虫のような目玉の)怪物のことですが、異様な異星人全体をこう呼ぶようになりました。最近は、ちょっとすたれがち。     *●邪悪なエイリアン…… こういう怒りを帝国主義的だと言う人もいますが、こうでなければ、スペース・オペラは、実に陰惨な読み物になっていたでしょう。     *●小型陽子ミサイル これなど、比較的おとなしい武器です。     *●相対的な認識 でも、これをつきつめると、なにも分からなくなってしまうので、御用心。     *●�宇宙は……� あの「ソラリス」を書いたレムの名言。     *●なんとなく、エイリアン まことに苦しいパロディですな。  テレビ小僧 「おじいちゃん、僕ね、さっき物置きで、おかしなものを見つけたよ」  朝の食事を終えて一服している憲吉のところへ、孫の龍太がやってきた。小さな目がきらきらしている。 「ほう? そりゃ、いったい、なんだろうね」  人生の内で、今が最も好奇心の旺盛《おうせい》な時期だ。この孫のために憲吉は毎日、毎日、さまざまな質問攻めにあっている。  しかし、それは彼にとって決して苦痛ではない。むしろ、唯一の楽しみと言えた。 「さあ、おじいちゃんに話してごらん。龍太が見つけたもののことを……」  憲吉は、そんな孫の様子に目を細めつつ、ソファの上で座り直した。 「うん、ちょうどね、これっくらいの大きさの箱なんだけど、前の方に四角いガラス窓がついてるの。でも中はくもってて見えないし、引っぱってみても開かないんだ。窓の横にボタンが並んでて……」  身ぶり手ぶりを交えた説明を聞く内に、憲吉も、ようやくその正体に思い当った。 「ははあ、なんだ、その箱はきっとテレビだよ。まだ、そんなものがしまいこんであったとは……」  憲吉の顔に、昔を懐かしむ表情が浮かんだ。 「テレビ……それ、なあに? おじいちゃん、教えて、教えて……」  龍太のいつもの�教えて�グセが、すぐにはじまる。 「ようし、よし……それじゃあ話してあげるとしよう。もう何十年も昔のことだが、その頃は、どこの家にも、テレビジョンというものがあってな……」  …………  …………  日本で、最初に、公式に確認された�テレビ小僧�は、東京新宿区に住む小平広志君という、小学四年生だった。一九八七年のことだ。  その彼が、母親に妙なことを告げるようになったのはその前年、八六年の四月頃であったらしい。 「ママ、僕ね、テレビをつけなくてもテレビが見えるんだよ。きっと、テレビの電波が僕の頭に入ってきちゃうんだね」  そんな広志君の言葉を、最初は子供らしい虚言の一種と思って相手にしなかった母親も、息子が何もない宙をじっと見つめて急にケタケタ笑いだす、といった、普通ではない行動をしばしばとるようになってから慌てだした。  問いつめても、返ってくるのはいつも「僕テレビを見てるんだよ」という答。 「この子ったら、生まれた時からテレビばっかり見過ぎて、それでおかしくなっちゃったんだわ」  母親はなんとか、この常軌を逸したクセをやめさせようと、広志君をしかりつけた。 「だって、僕が悪いんじゃないよ。電波が勝手に僕の頭に入りこんできちゃうんだもの。うるさくって困ってるのは僕の方だよ」  広志君はかえって反抗的になった。 「それなら」と、母親は息子をテレビのない部屋に入れて、自分はチャンネルを次々に変えながら質問してみることにした。 「どう、広志、今6チャンネルは、なにやってるか分かる?」 「クイズ番組だよ、ママ。あっ、これから答える人、あと一問でハワイ旅行に行けるんだよ。わっ、やった、正解だ! すごいなあ……いいなあ、あんな簡単な問題でハワイに行けちゃうんだから!」  この小平広志君が、ママにつきそわれて、�新超能力少年、現わる!?�の特番に出演したのは、七月のことだった。  ところが、この番組が放送されるや、全国から、すさまじい反響がテレビ局に押し寄せてきた。 「実は、ウチの娘も、その新超能力で悩んでおりまして……」 「おい! 俺《おれ》ンとこのガキなんざあ、四人ともそいつができるんだぜ。どうだい、他の局のモニター用にやとってもらえないかね」 「お願いです、宅の子供の新超能力を、なんとか治療していただけませんでしょうか。ええ、お金なら、いくらでも……」 「ねえ、おじさんたち知らないの? 今ね、ボクらの学級だけだって、十人以上の子が、あれ、できるんだよ。そう……どこの小学校の子に聞いてもおんなじだと思うけど」  つまり、この新超能力者は、小平広志君ひとりではなく、全国的に(主に小学校で)大量発生しはじめていたのである。  マスコミ関係者が、彼等のことをからかい半分に�テレビ小僧�と呼びはじめたのはこの頃からだ。  その後数か月で、新超能力者�テレビ小僧�は、すっかり社会問題化しはじめた。  それら報道に触発されて潜在能力が目覚めたのか、テレビ小僧現象は、低年齢層にますます蔓延《まんえん》していく気配もあった。  腰の重い政府も、ようやく事の重大さに気付いて調査に乗り出した。  まず、この騒ぎのきっかけとなった小平少年が、科学者グループの手にゆだねられた。  彼に対する検査、研究が進む間にもテレビ小僧の数はますます増え続け、ついには三歳から十二歳までの児童中、三十八パーセントがこの能力を持っていると推定されるまでに至った。  もはや彼等は新超能力者というより、新人類と呼ばれるべき存在となったのだ。  やがて、政府研究グループによる正式発表の日がきた。  報告は、小平少年が、世間で言われているところの�テレビ小僧�であることをはっきりと認め、彼がNHK、民放各局の電波を、何らエレクトロニクス装置を介することなく、直接自分の脳で受信し得る能力を持っている、と全面的に肯定した。  しかし科学者たちは、その能力を一種の神経症として捉《とら》え、�受信症�または�チューナー・シンドローム�と呼んだ。  さらに、この症状は日本独自のものではなく、アメリカ、ヨーロッパなど、テレビ先進地帯で、同時多発的に生起していることも明らかにされた。  その原因は未だ不明だが、恐らくは、幼児期からの長時間テレビ視聴によって受像機本体の発する放射線を過度に浴び、そのために引き起こされた大脳組織の突然変異障害ではないか、との仮説が発表された。  そして、この症状の患者がまず日本に多く発生したのは、テレビに近接して生活せざるを得ない住宅環境のためであろうとの意見が付記された。  しかし、テレビ小僧と呼ぼうが受信症と名付けようが、新超能力であろうが突然変異であろうが、全国の少年少女たちが、その自分の脳でテレビ放送を受信しはじめているのは、まぎれもない事実だった。  この影響がまっ先に現われたのは、当然、彼等を預かる学校においてだった。  なにしろ生徒の大半が、教室内でそれぞれ好き勝手なチャンネルを選び、テレビを�視《み》�ながら授業を受けているのだからたまらない。 「やめろ」と注意すると、やめれば各局の電波がごちゃまぜに入ってきて、とても勉強など手につかなくなってしまうと反駁《はんばく》される。  教師は仕方なく、その�ながら病�を黙認する以外なかった。  次に騒ぎだしたのは、彼等の母親、即《すなわ》ち主婦だった。  彼女たちの主張は、昼間の時間帯から低俗番組を追放しろというしごくもっともなものだったが、その真意ははっきりしていた。  夫も子供もいない家の中でひとり、自分たちが世にも下らない報道番組にうつつを抜かしていたことを、子供に知られるのが恥ずかしかったのだ。  同じような理由で、深夜のピンク番組もヤリ玉に上がった。こちらは、主に青年層の猛反対に会いながらも、結局は中止された。  会員制の有線テレビが流行の兆しを見せたが、地域やコストの問題で、とても全家庭にまで普及するには至らず、その内、この有線の微弱な信号を受信できるテレビ小僧が出現するに及んで、急速にすたれてしまった。  もちろん、ラブ・ホテルの2チャンネルは全面的に廃止された。  さらに主婦たちは、朝から夕刻までのテレビ放送を、授業の妨害にならないものに限るべきだと訴えはじめた。この時間はさらに、学習塾が終わるまで……子供が寝るまで……と延長され、ついに気がついた時、あらゆるテレビ放送は教養番組とクラシック音楽、それに幼児向けアニメだけになってしまっていた。  スポンサーが、テレビというメディアを見棄《みす》てはじめ、民放の倒産、閉鎖が相次いだ。  NHKは最後まで頑張ったが、受像機を持たない家庭が激増しはじめたために受信料の徴収相手がいなくなり、やがて視聴者ゼロの番組が続出するに及んで、ついに一日三回三十分だけのニュースを残してテレビ放送の断念を発表するに至った。  しかし、そのニュースも、一年とは続かなかった。  もちろん、家電各社は、とうにテレビ受像機の新規生産を中止していた。  そして……静かな、落ち着いた時代が全世界的にはじまろうとしていた。  映画、演劇、さらに純粋音楽の鑑賞などが、人々の娯楽の主流を成すようになっていた。  永らく、人々によって忘れ去られていた�芸術�という言葉も、文化の中心に復活してきた。  これを、第二のルネッサンスだと喜ぶ有識者も多かった。  やがて、世代はさらに交代した。  テレビ受像機の放射線障害という科学者たちの仮説が正しかったのだろうか、新しく生まれる子供たちから�テレビ小僧�能力を持った者はほとんど姿を消していた。  しかし、人々はもう、昔のテレビ時代にもどろうとはしなかった。  なにしろ、テレビ時代後期、教養番組とクラシック音楽だけで育った現在の大人たちは、�テレビ�という言葉をつまらないものの代名詞のようにしか思っていなかったのである……  …………  ………… 「……とまあ、そういうわけだ。テレビというのは、その放送を映し出す箱だったのさ」  憲吉は、めっきり白髪の増えた頭を振り振り、孫の龍太に笑いかけた。 「おじいちゃんもやっぱり、その�テレビ小僧�だったの?」  龍太がきく。 「いいや、違う。その騒ぎが持ち上がった頃、わしはもう中学生だった。おまえのパパやママが、最後のテレビ小僧世代だろうな……」 「ふーん……」  龍太はまだ理解しかねるのか鼻を鳴らした。 「で、おじいちゃん、そのテレビっていうのは、面白かったの、それともつまらなかったの?」 「そ、そりゃ、おまえ……」  言いかけた憲吉の目から、大つぶの涙が、はらはらとこぼれ落ちた。  楽園の思想 「パラダイス!」 「桃源郷……」 「いや、ユートピアだ!」  展望窓に顔を押しつけた隊員たちは、口々に叫んだ。 「信じられん……夢のようだ……」  先に発進した探査機から次々に送られてくる報告データを読み取りながら、船長も感激の面持ちでつぶやく。  長かった宇宙探険の苦労が、全《すべ》て拭《ぬぐ》い去られる思いを、今や誰《だれ》もが味わっていた。  宇宙船は、さらにその惑星へと接近した。  緑と、そして豊かな水……まさに、理想をそのまま形にしたような素晴らしい世界。 「船長! 塔が見えます。それに、あれはどうやら町のようです!」  ズームアップされたヴィジ・スクリーンの画像をのぞき込んでいた一等航宙士が、声を上げた。  一同の視線がそこに集まる。 「うーむ、確かに……」  船長の目が、さらに輝きを増した。 「……何らかの知的文明が存在することは間違いなさそうだ」 「ブラボー!」 「やったァ!」 「バンザイ!」  歓声がブリッジ内にこだまするなか、船長はついに着陸の命令を下した。  宇宙船は、惑星をゆっくりと周回しながら、次第に高度を下げていった。  もう、肉眼でも、美しい地表の様子がはっきりと見てとれた。  森や平原、川、湖、そしておだやかな大洋……中程度の大陸が五つ……そのあちこちに可愛らしい町々が散在している。  そしてその中央には、必ず、背の高い、がっちりした塔が天を指差して建っている。 「あの塔は、いったい、何でしょうねえ?」  着陸地点を探しながら、航宙士が船長に問いかけた。 「この世界の、町という町には、あの塔があるようだ。うむ……何か、宗教的な建造物ではないだろうか。たとえば、教会のような……」 「それにしては、メカニカルな感じもしますが」と航宙士。  確かに、その塔は、いかにも田園的な光景にちょっと似合わぬほど、未来的なデザインを持っている。 「あるいは、全世界を結ぶ通信システムのようなものかもしれぬ」  首を傾《かし》げながらも、船長は言った。 「とにかく、着陸してみれば、全てがはっきりするだろう。これだけ素晴らしい環境のなかで進化してきた知的種族だ。きっと、我々人類とも、気持ちよく意思を通い合わせることのできる相手に違いない!」  船長の言葉に、誰もが深くうなずいた。  ある小さな町の郊外を選んで、宇宙船は着陸した。  探険隊の故郷である地球よりも、引力はかなり小さい。しかし、大気の組成はほとんど同じだ。  有毒な成分や、危険な細菌の類も、全く検出されない。  慎重なメイン・コンピューターですら、防護服の着用は不必要、との判断を下した。  隊員たちは、躍り上がった。そして、我先に、宇宙船から飛び出した。  と、町の方角からやってくるものがある。  地上車の一種らしい。そこには、この惑星にこそふさわしい、優雅な容姿の人々が乗っていた。頭髪が完全にないことを除けば、身体のつくりは人間とほとんど同じだ。  地上車は、宇宙船のすぐわきまで来て停止した。  車輪らしきものはついていない。  どういう推進システムなのか見当もつかないが、それが相当に高度な科学文明の所産であることは明らかだった。  隊員たちの興奮はさらに高まった。  ついに人類は、この宇宙で、真に友人たりうる知性体と接触したのである。  地上車から、背の高い男女数人が降り立った。  手に、奇妙な箱を持っている。  ひとりが、その箱の横についているボタンを押した。  と、いきなり、〈声〉が聞こえてきた。 (あんた方、どこから来なすった?)  それは、そう聞こえた。どうやら、テレパシーを応用した万能翻訳機であるらしい。人類が熱烈に夢見ながら、未だに完成させることができない装置である。 「わ、我々は、銀河の辺境、太陽系第三惑星〈地球〉からやってきた探険隊です」  一歩進み出た船長が、感動の余り声を震わせながら、そうあいさつした。 (ほう?……で、何しに来たのかね?)  声が問いかけてくる。 「な、何しに?」  船長は、ちょっと出鼻をくじかれて顔を赤らめたが、また気を取り直して続けた。 「我々は地球人類の代表として、宇宙を探険して回っている者です。あなた方と、こうして接触できたことは、何よりの喜び——」 (それは、まあ、ご苦労なことですなあ……)  声は、のんびりと応じた。 (……そうやって、宇宙を旅して回って、何か面白いことでもあるんですかな?)  これには、さすがの船長も、ぐっとつまった。 「そ、そ、それは……知識のためです。未知の世界を探り、人類の知の領域を広げ——」 (そして、どうなさるおつもりかな?) 「どうなさるって……あなた方のような、高度な知的文明と接触し、交流を深めることができれば、お互いに、どれだけ大きな利益が生まれるか知れません。それが、我々人類の何十世紀にも及ぶ夢でした。それが、ついに、あなた方との接触によって——」 (だがねえ……)  装置を手にした男は、面倒そうに首を動かした。 (わたしたちの方は、別に、これ以上の知識を求めてはいないんだがねえ) 「それは、どういうことですか!?」  思わぬ相手の態度に、微《かす》かに焦立《いらだ》ちながら、船長は問い返した。 (どうもこうも、言った通りの意味だよ、地球の人。我々は、現在のこの世界に、完全に満足している。別に、ここ以外の世界のことを知りたいとは思っていない……) 「そ、そんな……」 (ま、そういうわけだから、悪いが、立ち去ってもらうしかないね)  彼等は、くるりと踵《きびす》を返して地上車に引き返そうとする。 「待ってくれ!」  船長は慌てて追いすがった。 「あなた方は、確かに、素晴らしい理想郷にお住まいだ。だが、だからといって、好奇心や向上心までなくしてしまったというのか!?」 (また、面倒なことを言い出す異星人じゃ……)  男女は仕方なさそうに、また船長を振り返った。 (我々にも、好奇心や向上心は大いにある。しかし、少なくとも現在の我々の関心は、宇宙や、ましてあんた方には向けられておらんのだよ。あんたは今、この星のことを�理想郷�と呼んだ。確かにその通り、ここは、何にも増して素晴らしい世界だ。そして我々は、ここで、何不自由なく、思うがままの暮らしを続けておる。これ以上、何が必要だというのかね?)  ひとりが、逆に、そう問い返してきた。 「し、しかし、それは精神的な退化だ。この大宇宙には、我々のまだまだ知らぬことが——」 (では聞くが、あんた方、宇宙を旅して回って、この星以上の惑星をどこかで見つけたかね? あんたたちの故郷の方が、ここよりも素晴らしいとでも言うのかね?) 「いえ……それは……」  船長は口ごもった。 (それ見なさい。だったら、何も、苦労してまで劣悪な世界に出て行くことはないじゃないか。まあ、いい……せっかく、ここまでいらしたんだ。わたしたちの町でもご案内しよう、ついて来なさい)  男女は、地上車に乗り込んだ。  ゆっくりと走り出す。  隊員たちは、その後を追って、ぞろぞろと歩き出した。  やがて、童話のなかから、抜け出してきたような美しい町並みに入る。  その中央に立つ、背の高い塔。  それを見上げながら、船長はなおも言いつのった。 「しかし、それでは、あなたたちの存在意義は何なのですか!? 何のために、あなたたちは生きているのですか!? 見れば、科学技術は相当なレヴェルに達している。あるいは、我々以上かもしれない。それを、有効に使おうともせず、自分たちの星にばかりしがみついている。いいえ、無礼は承知で申し上げたい。それは、退化です。あなたたちには、種《しゆ》としての生きがいがないじゃないですか。今こそ、心の扉を開くべきです。そして、我々地球文明との交流を開始すべき時です。そうですとも! 我々は、たとえ、おせっかい、力ずくと思われても、あなた方との交流を実現します。結局、いつかは、あなた方も、我々に感謝することになるでしょう。この宇宙において、もはや、あなた方は、孤独ではいられない!」  追いすがって喋《しやべ》りまくる船長に根負けしたのか、地上車は停止した。そこはちょうど、塔のふもとである。 (しかたがない……そうまで言うのなら……)  装置で声を伝えながら、男女は再び地上に降り立った。 (いいですかな、地球人……我々は、我々の科学力を、我々なりに有効に使っている。それも、我々の存在意義、生きがいのために……) 「何ですと!? それは、いったい」  ここぞ、と船長が問いつめる。 (この塔です。この塔こそは、我々の文明の結晶なのです) 「何ですか、これは。これは、どういう役割を持つものなのです?」 (さっきも言ったように、我々は、この自分たちの惑星に完全に満足している。それに、我々の科学者は、この大宇宙には、この星以上に完璧《かんぺき》な世界が存在する可能性は全くないと断言している。そこで、この星を我がものにしようとする邪悪な意志を持った異星人たちが押しかけてくることもある……) 「我々に、そんな侵略的な意図は、全く、かけらも……」  大声を上げようとする船長を、彼等は手を上げて制した。 (まあ、それよりも始末の悪いのが、好奇心の強い種族というわけでね……)  ひとりが、翻訳機とは別の装置を地上車の中から取り出した。 (……そういう種族は、我々にとって、害虫のようなものでね。その駆除システムを惑星規模で維持するのは、我々にとっても大変な仕事なのだよ。しかし、宇宙にまたとない�理想郷�を守り、保つ……これこそが、我々の生きがいでね……)  彼は装置のボタンを押した。  猫と王子 「ミャーオ」  ひと仕事終え、ナイター中継を見ながら水割りを舐《な》めていると、窓の外でタマが鳴いた。  めずらしく遅いご帰館だ。  僕は手をのばし、窓を細目に開けてやった。タマがひょいと窓枠を越えてきた。そして僕の膝に飛び乗り、ゴロゴロと喉《のど》を鳴らしはじめた。  僕はイラストレーター。まだ、若い。もちろん、独身。やや郊外のこの一軒家をアトリエ兼住居として借り、タマと一緒に暮らしている。タマは三歳の三毛。いたずら盛りの雄猫である。  ちなみに、三毛は雌に多く、雄は少ない。めずらしがられて連れ去られる危険があるので、タマには立派な首輪をつけてある。 「よしよし……」  耳のあたりをなでてやりながら、僕はタマに話しかけた。 「こんな時間まで、どこで遊んでたんだい? 心配するじゃないか——」  そして、気がついた。  タマの首輪に何かがはさまっている。  引き抜いてみると、薄い布の切れ端だった。折りたたんである内側に、小さな赤いシミがついている。  不思議に思って布を広げた。 (……待てよ?)  それは、ただのシミではなかった。かすれてはいるが、確かに文字だ。それは、こう読めた——〈だれか、たすけて〉 「たすけて……だって?」  僕はつぶやき、水割りをごくりとひと口飲み込んだ。 「おい、タマ。おまえ、いったい、どこでこんなものを——」  しかし、タマは知らん顔で大きくのびをすると僕の膝から飛び下り、悠然と水飲み場の方へ歩み去った。  その翌日——タマはまた、同じような布切れを首輪にはさんでもどってきた。色は淡いグリーン。絹のような手触りである。鼻を近づけると、ほんのり、いい香りがする。そして、やはり赤い文字……〈たすけて、おねがい〉とある。  こすりつけたような文字である。〈血文字かも……〉そう気づいて、僕の心は騒いだ。  この訴えがもしも真実なら、放ってはおけない。が、悪い冗談の可能性も少なくない。  僕は迷った。迷った末に、猫を使っての返信を思いついた。 〈いたずらなら、もうやめなさい。しかし、もし本当に困っているのなら、どうして欲しいのか、そしてどこにいるのかを、知らせてよこしなさい〉  そう書きつけた紙と、それに相手が筆記用具を持っていないのかもしれないので、手帳用の細い鉛筆を首輪にくくりつけ、翌朝、僕はタマを外に送り出した。  夕刻、タマは何食わぬ様子で帰ってきた。首輪に紙片がはさまっている。鉛筆はなくなっていた。  さっそく紙片を広げてみると、僕が書いたメッセージの余白に、鉛筆による細かな文字が並んでいた。 〈助けてください。いたずらなんかじゃありません。あたしたち、さらわれて、ここに、とじこめられているんです。ここがどこかはわかりません。お願いです。あたしたちを、すくいだして〉 〈さらわれて?〉〈とじこめられて?〉……それに〈あたしたち?〉  明らかに女文字だ。それに幼い感じが残っている。書き手はどうやら、少女のようだ。  もしかすると——これは誘拐事件かもしれない。だとしたら、警察へ届けた方がいいのでは……いや、ちょっと待て。僕はまだ疑いを捨てきれなかった。  で、再び紙とペンを用意した。 〈あなたが、とじこめられている場所に、窓はないのですか? もし外の様子が見えるなら、その風景を教えてください。それから、ウチのタマ(猫の名前です)は、どうやって、そこに出入りしているんですか?〉  モノの本によれば、普通の飼い猫の行動範囲は、自分のすみかを中心とした三百から五百平方メートルの円内だという。それがつまりナワバリで、その外へはめったに遠征しない。  だとすれば、彼女たちもまたその範囲内にいることになる。そこから何が見えるか分かれば、およその見当はすぐにつく。  このあたりは、まださほど建てこんでいない新興住宅地である。タマのテリトリーがどんなに広くとも、自転車でひと回りの程度に違いない。  その夜、返事が届いた。 〈太陽ののぼる方角に窓があります。タマちゃんはいつも、その窓の鉄格子の間から、はいってきます。窓の外には石の城壁が見えます。そのむこうに、やはり石造りの高い塔があり、あたしたちをさらった竜は、その塔の中にすんでいます。お願いです。早く、助けて! さもないと、あたしたち、竜に食べられてしまうんです。いつも食事や衣類を運んでくる竜の召し使いの小鬼が、あたしたちにそう言ったんです。もっと太らないと、歯ごたえがなさすぎるって。一番太っていた女の子は、もう連れていかれました。それきり、もどってきません。助けて、お願い! 食事を残すと、小鬼にひどい目にあわされます。だからいつもタマちゃんに手伝ってもらっています。でも、もうダメ。あたしも、少しずつ太りはじめました。他の女の子たちも、みんな。だから、早く! お願いです!〉 「ははーん」  僕は怒るよりも、むしろ楽しくなった。  どうやらこのご近所に、ちょっとばかり夢想癖の強いお嬢さんが住んでいるらしい。しかし、いつまでも彼女の童話ごっこにつきあってはいられない。 〈どちらのお姫さまかは存じませんが——〉僕は、仕事の合間に返事の手紙をしたためた。〈——日本語がとてもお上手な様子。この次は、どうか、竜の住む異国の文字でおたよりをくださいませ。タマとはこれからも遊んでやってください。さようなら〉  その日、タマは、日暮れ前に手紙を運んできた。 〈あたしは、お姫さまなんかじゃありません〉  興奮のためか、文字が震えている。 〈あたしは日本人です。中学二年生で、名前は山岸今日子。でも、竜にさらわれたのは本当です。ここには、この世界には、本当に竜がいるんです。竜は、いろいろな国から、いろいろな世界から、女の子たちをさらってくるんです。信じてください! さっき、また一人、太ってしまった女の子が連れていかれました。あたしたちも、もうすぐ——どうしたらいいんでしょう? ここには本物のお姫さまも沢山います。みんなで毎日、泣きくらしています。ここがどこなのかは、まるでわかりません。小鬼によると、ここは、さまざまな世界の裏側にある世界なんだそうです。そのさまざまな世界へは、それぞれ抜け穴があり、竜はそのぬけ穴を通って、女の子たちをさらいにいくのだそうです。もしも、この石の部屋から逃げだせれば、その抜け穴を探して元の世界へもどれるかもしれません。お願いです。信じてください。そして、なんとか、あたしたちを助けて。タマちゃんの首輪につけたのは、クラムグラム王国からさらわれてきたミムモムミ姫の指輪です。もしも助けていただけるなら、これが、あたしたちのお礼がわり。お願いです、どうか〉  そこで余白がなくなっていた。  僕はタマの首輪を探った。すると確かに、一個の指輪がそこに通してあった。 「ふーむ」  僕は首をひねった。  翌日、僕はその指輪を持って知り合いの宝石商を訪ねた。 「これ、外国の友人からもらったんですが、鑑定してもらえますか?」  宝石商は拡大鏡を持ち出して、その指輪をのぞき込んだ。そして、息を呑んだ。 「こ、これは……こんな素晴らしいルビーは見たことがない。それに、この台座の細工の見事さ。信じられない! で、これをご売却になるおつもりは——?」 「うーん」僕は価値を確かめるために言ってみた。「値段によっては、考えてもいいんですけど」 「だ、だったら、ぜひ手前共に買い取らせてくださいませ。今日はもう銀行が終わりですので、現金は一千万円ほどしか用意できませんが、とりあえず手付け金ということで、いかがです?」 「一千万!?」 「いえいえ、それはほんの手付け金でして。あとは明朝すぐに揃えまして——」  とりすがらんばかりの宝石商をなんとかごまかし、僕は家へもどった。  仕事も何も手につかない。どうやら——冗談やいたずらではなさそうだ。しかし、だとしても、僕に一体何ができるだろう。  ともかく——まず、その裏の世界とやらへ通じている抜け穴を見つけるのが先決だ。そしてその抜け穴のありかは、タマが知っているはずなのだ。 〈心配しないで。きっと助けだしてあげる〉  僕は手紙を、タマの首輪にゆわえつけた。そして一睡もせずに、タマを見張った。  夜明け頃、タマがむっくりと起き上がった。水を飲み、キャット・ビスケットをコリコリかじってから、おもむろに出掛けようとする。  僕はすぐに窓を開けてやり、玄関から出てタマを見張った。  アクビをしながら、タマがでてきた。庭のスズメをからかい、道をふらふら横切り、それからやっと早足になって、古い神社がある裏山の方へ登っていく。  僕は後を追った。あたりはまだ薄暗さが残っている。  と不意に、タマの姿が見えなくなった。  僕は慌てて、タマが消えたあたりに駆け寄った。  そこには、草に埋もれかけた石積みの跡が残っていた。昔の参道の一部かもしれない。その石のひとつが抜け落ち、空洞になっている。  タマが隠れたとすれば、その中しか考えられない。 「タマ、タマや」  穴の入口で、僕は小声で呼んでみた。微かに、鳴き声が返ってきた。が、何も見えない。かなりの深さだ。穴がどこまで続いているのか、見当もつかない。  僕は唇を噛んだ。  これが、その、裏の世界へ通じる抜け穴のひとつなのかもしれなかった。しかし、タマはくぐり抜けられても、人間は到底無理だ。  掘り返すにしても、大型の土木機械が必要だ。そんなことが許されるはずもない。 「……どうしたら、いいんだ」  僕は途方に暮れた。  しかし、自分で彼女たちを救いに行けないとしたら、方法はあとひとつしかない。  彼女たちが自力で牢屋から脱け出せるよう手助けすることだ。  僕は家へとって返した。  そして金属用のヤスリや小さなナイフ等々、彼女たちの役に立ちそうな小物を手当り次第掻き集めた。  昼過ぎ、タマがもどってきた。 〈竜がお腹を空《す》かしています。さっき、小鬼が女の子の太り具合を調べにきました。早く! 助けて!〉  鉛筆が折れてしまったらしく、後半はまた例の血文字になっている。  もうこうしてはいられない。僕はあれやこれやに、新しい鉛筆と紙を加え、それらをひとまとめに袋に詰め込んで、タマの背中にくくりつけた。  そしてタマをかかえ、例の裏山へと走った。 「さあ、タマ。行ってくるんだ! お姫さまたちを助けに——」  タマは不満そうに鼻を鳴らした。が、尻尾を振り振り、穴にもぐり込んでいった。  穴のそばで、僕は待った。  やがて、日が暮れた。やっと、タマがもどってきた。背中の荷物はなくなっている。首輪に手紙がはさんであった。 〈もう少し。もう少しで鉄格子がはずれそう。そうしたら、みんなして、ここから逃げだします。それから、どうなるかは、わかりません。とにかく、精一杯逃げて、そして抜け穴を探します。ありがとう。本当に、ありがとう。もしも、そちらの世界へもどれたら、なんとかして、あなたを探します。わたしの王子さま、ありがとう。ありがとう——〉  まだまだ心配でたまらない。しかし、できるだけのことはした。 〈頑張れよ!〉僕は心の中で幾度もつぶやいた。そして、手紙の続きを読んだ。 〈——でも、気をつけて。あたしたちが逃げだしたことを知ったら、竜はきっと怒り狂って、あたしたちを逃がした犯人を探すでしょう。タマちゃんのことが心配。そして、あなたのことが。どうか、気をつけて。もうすぐ鉄格子がはずれます。では、さようなら。ありがとう〉  走り書きは、そこで終わっていた。  僕の背筋が、ぶるぶるっと震えた。 「よし、よくやった、タマ。でも、もう、この中へ入っちゃいけないよ。いいね」  僕は近くから石ころをいくつも集めてきて、その穴の入口をふさいだ。どの道、山岸さんというその少女も、この穴を抜けてはこれないはずだ。そして、その他の抜け穴がどこにあるかは、想像もできない。  僕はタマを抱いて、家にもどった。  なかなか寝つかれず、水割りを何杯もあおった。  午前一時過ぎ、やっとベッドに入ったその途端—— 〈地震——!?〉  僕は飛び起きた。揺れはかなり長く続いた。一度は収まったものの、十分ほど後に、もっと激しい突き上げるような震動がきた。  タマが騒ぎだした。しかもいつもと様子が違う。狂ったように跳ね回り、ついには窓から逃げだしてしまった。  地震はその後も、二度、三度と繰り返された。そして、夜が明けた。  僕は不安でたまらなかった。  しかし、勇をふるって家を出た。 「タマ! タマ——ッ!」  呼びながら、裏山まできた。 (…………!)  果たして——昨日積んだ石が崩れて、また穴がぽっかりと口を開けていた。  と、その奥から、猫の悲鳴が聞こえた。そして、飛び出してきたのは、タマだ。  僕は穴に駆け寄った。そして、その奥をのぞき込んだ。 「わっ!」  僕はのけぞり、尻もちをついた。そして、ともかくも必死で、飛び起き、タマのあとを追って駆けだした。  しかし、逃げ切れるかどうか、自信はなかった。  その石穴の向こうから僕をにらみ返していた目は、余りにも巨大だった。そして、憎悪にぎらぎらと燃えていた。  今の僕には、王子がまたがる快速の白馬が必要だった。 角川文庫『一発!』昭和60年7月25日初版刊行